首相も財界トップも手玉に取った「天才霊感少女」 藤田小女姫殺害犯がハワイの刑務所で殺されていた
母と子
取材をするうち、藤田母子に関するおもしろいうわさにぶつかった。古参の産経新聞OBらの間には、実は霊感があったのは小女姫の母であり、娘は母のプロデュースによってつくられたただのタレントだという話が、ひそかに残っていた。 昭和28年3月号の「オール讀物」誌上に、記者と担当編集者が相談者を装い、彼女の相談部屋にひそかに取材に入った記事が掲載されていた。 その当日、相談者が並ぶ一室に、「派手な緋色のワンピース、キラキラピカビカ光るネックレス、イヤリング、腕環、南京虫という時計」を身にまとった15歳の小女姫が、「厚化粧」の母親にせき立てられて現れた。だが、ファンらしき少女とおしゃべりに興じる彼女は、相談などまるで上の空だ。 「『こんど菓子屋をはじめるのですが、この場所であたりましょうか。』 『いいですって…….』 『いつごろからはじめたらいいでしょうか。』 『早いほうがいいですって。』 『早くと申しても、いつがいいでしょうか。』 『夏まえがいいです。』 『最中を売るのですが……』 彼女は人形に気をとられていてなかなか返事をしない。商売上手らしい母親がサイソクする。 『トクイをとれば繁昌します。』 そこで男は喜んでひきさがる。全くバカなことを言ったものだ。どんな商売だってトクイをとれば繁昌するにきまっている。お姫さまは男のほうを見もしないで、人形をいじり、ゆで卵をたべている。これで六百圓!」(オール讀物)
まったく世間離れしていた母子
万事がこんな調子らしかった。母久枝は、ときに相談者もそっちのけに、娘にブロマイドへのサインを始めさせたり、あるいは、つたなすぎる答えに納得しない客を、「霊感だから、その通りにやってごらんなさい」とあしらい、一切を傍らで仕切っていたようだった。 ものおじせず、ときに開き直りともとれる態度で堂々と相談者を煙に巻く母の強烈な個性が、「霊能者は母である」といううわさの源らしかった。 ハワイでの事件後に、小女姫の遺骨を引き取ったいとこの一人は、冗談交じりに母久枝の印象を「とにかく、ぶっとんだばあさん」であったと、笑った。 「箱根の家には、よく遊びに行ったんですが、有名人が頻繁に出入りしていましたね。それだけじゃなくて、誰か分からない居候までいる。で、彼女と母親は、驚くような高額な金の貸し借りを巡って、言い争っている。彼女は、金銭感覚がなくて、欲しい物は借金をしてでも、なんでも買ってしまうようでした。まあ、二人ともタイプは違うけど、まったく世間離れしていたのは一緒でした」 一本の道を併走する母子の両輪は、独特なバランス関係にあったようだ。予言を売りに、相談業務を切り盛りする母に手を引かれ、小女姫はただ無邪気に、足下の不確かな娑婆の花道を、ふわふわと走っていたようにも見える。