私に自分の存在価値を確認させてくれるのは誰? 蓋をしていた感情と記憶が溢れだす短編集
恋愛を考えるための私の2冊
何十年も、『恋愛ってなんだろう?』と考えてきた。誰かを好きになる、それは同世代の話題に乗っかるためだったり憧れだったり、恋愛の枠組みに自分から形を合わせにいって、擬態するような違和感があった。 昨年、中学生向けの恋愛本の構成にたずさわることになり、これは距離を置いてきたものに向き合うチャンスだと、約1年かけてたくさんの恋愛作品を読んだ。好き/嫌いだけの大きな構図で恋愛を語ることを暴力的に感じていたけれど、もっと手前にある枠組みを解体しながら、人間の気持ち悪さがもっとも露出しやすい場として恋愛を語る作品や、恋愛を入り口に人間の本質を描く作品が少しずつ登場してきていると知った。その中から、いくつか作品を紹介したい。 『新しい恋愛』を読み終えたとき、真っ先に思い出したのが大前粟生さんの『きみだからさびしい』(文藝春秋)だった。複数の人と合意の上で交際するポリアモリーの女性を好きになった青年が、彼女のすべてを受け入れたいと思いやりながらも、嫉妬に苛まれてしまう葛藤を描く。 一般的とされる恋愛観とは異なる考え方を軸に、恋愛も含む様々な“こうあるべき”を解体しながら、繊細な感情がはぐらかされることなく書き切られる。大切な人が大事にしている価値観を理解したい、けれど別の人と濃密な時間を過ごしていることを想像すると嫉妬でどうにかなりそう。尊重しているフリをして、自分が傷つかないように都合よく解釈しているだけではないか。相手との距離感に悩みながら、一歩の歩幅を慎重にたしかめる青年の姿から、言葉にしたくなかった嫉妬心や結局のところ社会通念に縛られている自分の固定観念に気づき、胸ぐらを掴まれるようだった。そうした読後感は『新しい恋愛』とも共通するところではないだろうか。 また、温度感は違うけれど、綿矢りささんの『勝手にふるえてろ』(文春文庫)も、読んでいると、蓋をしていた部分が溢れ出てくるようだった。片思い以外経験ナシの26歳OLが、積年の脳内片思いと突然思いを寄せられたリアルな恋愛との狭間で揺れ動くのだが、ひたすら自分の中のわがままな感情を吐露する。好意を向けてくれている相手には、ときに暴力的な態度を取ってしまって傷つけるし、憧れの相手には都合よく使われて傷つく。人間関係の中にある、憎悪や嫉妬といった気づきたくないほどドロドロとした感情が言語化され、自分にも思い当たるところがあると知ってしまい苦しいけれど、人間の本質に触れているとも感じられた。 綺麗な言葉でおさまりよくせず、恋愛をはじまりに表出する人間の気持ち悪さをまなざす。そんな書きぶりを誠実に思うし、そこで露呈した人間の本質こそ、私は読みたいと思う。 『新しい恋愛』高瀬隼子みんなの恋愛を私は知らない。モヤモヤがゾワゾワになり、読み始めたらとまらない5つの〈恋〉のかたち。芥川賞受賞作のベストセラー『おいしいごはんが食べられますように』著者がはなつ、最高の〈恋愛〉小説集。
羽佐田 瑶子(ライター)