脳性麻痺のヴァイオリニスト式町水晶、障害と闘い、いじめと自分を乗り越えて
ハンディキャップや難病を患っているアーティストは珍しくない。ヴァイオリニスト・式町水晶(しきまち・みずき)の場合は、3歳のころ脳性麻痺との診断を受け、リハビリのために4歳からヴァイオリンを始めたという。 それだけではぜひ話を聞きたいとまでは思わなかったのだが、式町の場合は子ども時代に酷くいじめられた経験があり、その際に健常者である彼らを見返したいという思いを強く抱き、ある期間、その思いが彼自身の原動力となって人生を支えてきたという経緯がある。 そんな彼が奏でる音楽が、いまでは多くの人を癒やし、励まし、力づけているという。なぜ負の感情は癒やしに昇華されたのか。11日にメジャーデビュー・アルバム「孤独の戦士」リリースを控える式町に聞いた。
ヴァイオリンはいじめっ子と闘うための武器だった
「小学校では最初、特別支援学級だったのですが、途中で盲学校に転校した時期なども経て、5年生からは元の学校に戻り、通常学級に入ったんです。そこの学校は、僕が入る前からいじめだとか万引きだとか、いろいろ問題があったんですよ。当時、僕は基本的には車椅子に乗っていたのですが、いじめに遭ってしまいまして」 会った瞬間から元気で明るく饒舌な式町は、大きなハンディを背負っているようには見受けられない。実はそれこそが、式町を孤独に追い詰めた要因でもあった。 「よく、人からどっちつかずのように言われたこともあったんです。これだけよくしゃべるし、多少は歩くこともできていたので、健常者と障害者の狭間みたいなところにいて、僕は孤独でした。いじめに遭っている中で、ヴァイオリンは彼らと闘うための武器のような道具になっていったんです」
「プロは無理」10人以上の先生がさじを投げた式町への指導 8歳のときに訪れた転機
ヴァイオリンとは、どのように出逢ったのだろうか。話は少し遡る。式町の脳性麻痺の症状は、力を入れるのは割とたやすいが、逆に力を抜くことが大変なのだという。4歳でヴァイオリンを始める前には、試しにピアノを弾いてみたことがあったそうだが、同じ姿勢が保てず指の力を均等に配分することもできなかったので断念した。 「それでヴァイオリンを習いに行ったのですが、ヴァイオリンも手に麻痺がある人がプロを目指すのは前代未聞とのことで、どの先生にみてもらっても『これ以上は無理でしょう』みたいな感じで長続きしなかったんです」 10人以上もの先生を転々としながらヴァイオリンを学び続けた。8歳のとき、転機が訪れる。知人の紹介で、楽器の製作や修復の第一人者でヴァイオリンドクターとしても知られる中澤宗幸氏のもとへヴァイオリンを直しに行った。 「教えてくれる先生がなかなか見つからないんですよ、って話をしたら、ヴァイオリニストである奥様の中澤きみ子先生を紹介してくださったんです。それがプロを目指す大きなきっかけになりました」 2年に渡り、世界的なヴァイオリニストである中澤きみ子氏から徹底して基礎を学んだ。そして10歳になると、ポップス志向が強かったこともあり、幅広いフィールドで活躍中の中西俊博氏のコンサートに行って、一目惚れ。自ら手紙を書いて師事、演奏活動を始めたのだった。