サッカー選手たちがサンタに変身…障がいのある子どもたちに届けた本物の笑顔と温もり
障がいを持つ子供たちとサッカーを楽しむ
「生徒たちの楽しむ姿が見られて、嬉しく思いました。いつもより、活動量が多かったです。こういう機会を大切に、今後も先生たちに頑張ってもらいたいです。本物のサンタさんでした」 【写真】重病を公表したサッカー選手・細貝萌の勇気 神奈川県立金沢支援学校の茂内俊郎教頭は、そう語った。 この日、進行役を務めた同校の体育教師、清水雄介教諭も言った。 「無茶苦茶いい時間をありがとうございました。こんなに触れ合えて、生徒たち全員が、笑顔で過ごすことが出来ました」 12月11日、サッカーに人生を懸けた4名の男たちが金沢支援学校を訪れた。障がいを持つ児童を笑顔にするイベントが行われたのだ。一流選手は子供を笑顔にするーー。あのディエゴ・マラドーナは私生活で問題を抱え、薬物に走ったが、ハンディキャップのある少年少女には優しさを見せた。筆者は同様の試みを10年前にも企画したが、シュミット・ダニエル、皆川佑介と、当時大学生として参加してくれた2名が後に日本代表入りしている。 今回は元アルゼンチンユース代表のセルヒオ・エスクデロ、大宮アルディージやザスパクサツ群馬、ロアッソ熊本などでプレーした高瀬優孝、元関東ビーチサッカーMVP&得点王の吉良龍人、ツエーゲン金沢に在籍した片倉誠也に声を掛けた。そしてキャッチフレーズを「サンタクロースになりに行く!」とした。 子供を持つ家庭なら、この季節はクリスマスの過ごし方について一考する。サンタクロースの存在を我が子にどう説明すべきかに時間を割く人もいるだろう。 かつて、8歳の少女が「私の友達は、サンタクロースなんかいないって言うんです。本当にいるのでしょうか?」という素朴な疑問を『ニューヨーク・サン』紙に送り、社説担当者が記事内で応対した件はあまりにも有名だ。 少女――ヴァージニアちゃんに対し、フランシス・ファーセラス・チャーチ記者は以下のような内容の返事を書いた。 「サンタクロースはいます。大人でも子どもでも、何もかもを理解している訳ではありません。広い宇宙において、人間ってとても小さなものです。我々は、世界のほんの少しのことしか知らないのです。愛や思いやりがあるように、サンタクロースもちゃんといるんです。そういうものがあるからこそ、人の生活は癒され、潤うのです」 4名のフットボーラーたちは、「サンタクロースになる」こと、そして「子供が喜ぶ」ことの意味を把捉していた。会場となった金沢支援学校の体育館に入ると、生徒たちの手で書かれたメッセージがホワイトボードに貼られていた。 吉良はその模造紙をまじまじと見詰め、呟いた。 「『龍』っていう字は難しいのに……」 清水教諭の指示で、挨拶、準備運動、そしてボールを使った動きとメニューが進んでいく。清水は、小・中学時代にサッカー、高校、大学はアメリカン・フットボールに打ち込み、10代の終わりに教師になることを決めた。大学卒業後、臨時職員として支援学校で働く機会を得る。 「生徒の皆さんが素直でしたし、成長を身近に感じられる点に魅力を感じました。ある時、不登校だった子に簡単な腕立てとか腹筋を教えたことがあったんです。『面白いかもよ。一緒にやろう』みたいな感じで。そんなやりとりがきっかけで学校に来るようになってくれて、やり甲斐を覚えました」 3年後に本採用として認められ、今年で計13年目になる。清水が子供たちに向ける眼差しからは、迸る情熱が伝わる。 「生徒が楽しく学校に通う。それが一番大事だと常々感じています。でも、子供だけじゃなく、大人も喜びを感じて、良い雰囲気を作る必要がありますよね。それで初めて、子供がいい表情になるんだと思います」 この日は清水自身も、生徒の微笑みを目にする喜びを感じていた。 32名の生徒を4チームに分け、鬼ごっこ、ボールタッチ、PK、ゲームとプログラムが変化する。緑、白のビブスを着た2チームは、1964年にアルゼンチンで生まれ、17歳で母国のプロ選手となったエスクデロが指導した。 「上手いねぇ」「力を抜いて大丈夫だよ」「ボールをよく見てね」「そこは思い切りね」などと、絶妙なタイミングで声を掛ける。Jリーグが産声を上げる前年に来日し、浦和レッズに所属。苦労してマスターした日本語は聞き取りやすい。 引退後はコーチとなり、レッズのジュニアユース、柏レイソル青梅、埼玉栄高校などで指揮を執った。高瀬は埼玉栄高校時代の教え子であり、息の合ったサポートを見せる。 清水より5歳年上の平井翔教諭も話した。 「選手の皆さんがとても上手に児童と関わり、私自身もとても楽しい時間です」 高校時代、直距離ランナーだった平井は、大学時代にスイミングクラブのインストラクターとなり、キッズとの触れ合いに可能性を見出す。 「4年間続けましたが、子供の純粋さや、成功体験する姿を間近で目にしました。そのままインストラクターの道を進むことも考えたのですが、教育実習でスポーツ系でない生徒と付き合ってみて新たな目標を持ちました。次世代の人間性に触れたり、コミュニケーションがとれるのは教育の現場なのかなと。それで、体育教師になることを決めたんです。 体育の授業では、1人で40名くらいの生徒を見ることになりますよね。部活も1人で30名くらいでしょうか。すると、どうしても見切れない部分が出てきます。私は“個”に関わりたかったんですね。支援学校では、一人一人に徹底的に向き合うことができる。 それが何よりの魅力です。例えば、ある生徒に苦手なことがあって、それを私が見付けたとします。ならば担任の先生たちと話し合って、特別な方法でやってみようという教育法があるんですよ。それプラス、私は障がいがある生徒さんのことをもっと知って、学んだ上で可能なことをやっていきたいという思いがありました。 生徒が喜ぶことが大前提ですが、教師サイドも協力して、しっかりと相談して、積み重ねていくんですね。チームで生徒と向き合って伸ばす、という共通認識があるんですよ」