最高裁で勝訴「67年間苦しんできた。こんなに嬉しいことない」14歳で“強制パイプカット”された夫 意を決して妻に秘密打ち明けた… 旧優生保護法は憲法違反 国に賠償命令
◆”にぎやかな家庭を築きたい” 夫婦の夢を奪った強制不妊手術
宝二さんと喜美子さんは同じ年に神戸地裁に提訴(1審は敗訴 2審で逆転勝訴)。そして、喜美子さん亡き今、宝二さんはひとりで、最高裁判決を迎えることになったのです。 (小林宝二さん) 「私たちは騙されていたんだ、もう取り返しのつかないことをされてしまった」 「聞こえても聞こえなくても構わないと思うんです。子どもを育てることはできると思います」
◆差別的な理念掲げた旧優生保護法の 背景に当時の人口急増もあった
戦後の人口急増などを背景に、1948年に成立した旧優生保護法には、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」とあります。 差別的な理念を掲げたこの法律が、母体保護法に改正される1996年までに、少なくとも約2万5千件の不妊手術=「優生手術」が行われ、うち1万6千件あまりは本人の同意がない「強制」でした。
◆かつて優生手術に関与した精神科医が実名で証言
優生手術に携わった経験のある精神科医がMBSの取材に実名で応じました。岡田靖雄さん、93歳です。1950年代から60年代にかけ、都立病院の精神科に勤めていました。 (岡田靖雄さん) 「年に2回、医局の黒板に優生手術の対象になる人がいたら、名前を書きだせと」 「同じような知的障害の人が生まれては困ると思って、医局の黒板に、その名前を書いて」 岡田さんは、中度知的障害がある女性患者が、男性患者と性的な関係を持ったと知り、その女性の名前を黒板に記入。本人の同意は得ていませんでした。実際に手術が行われる際も、助手を務めたといいます。 ――ためらいみたいなものはなかったですか? (岡田靖雄さん) 「いや、ですから、日常業務のひとつだったわけですね。言ってみれば、この患者さんに電気痙攣療法をやるかどうか決めるのと同じように、日常の仕事としてやったわけです」 「加担の事実をはっきりさせることが、加担の責任を取る一番の方法だと」 「証言を求められれば、這ってでも行って証言する、それが僕の息がある間は責任だと思っています」
◆14歳で「パイプカット」障害のない少年も手術対象
優生手術の被害を受けたのは障害がある人だけではありません。北三郎さん(※活動名)81歳です。 仙台で生まれた北さんは、生まれてすぐに母親を亡くしました。父親やその再婚相手との折り合いが悪く、学校にもなじめなかった北さんは、教護院(現在の児童自立支援施設)に入れられました。 14歳の時、ある日突然、職員が病院に連れていきます。 (北三郎さん) 「『俺帰るよ、別に悪いところはない』と言ったんだよね」 「看護婦さんに呼ばれて背骨に注射を打たれたんです。その時に意識朦朧としちゃって…」 予想もしていなかった手術を受け、激しい痛みに苦しんだ北さん。後日、施設の先輩から自分が受けた手術は、パイプカット=男性の不妊手術だと知り、がく然とします。