原発事故で人が去った街に「若い移住者」がなぜ増え続ける?…サバ缶「Cava?」を大ヒットさせた元外交官が語る、その魅力
2011年3月に深刻な事故を起こした東京電力福島第1原発周辺の町は、今も「帰還困難区域」と呼ばれる立ち入り禁止の場所があちこちに広がる。病院や集合住宅、教育機関といった生活インフラは整っておらず、コンビニも夜には閉まる。でも、そんな場所にあえて身を置こうとする人たちがいる。特に最近は若い移住者が目立つ。その一人、一般社団法人「NoMAラボ(ノマラボ)」代表の高橋大就さん(48)は3年ほど前、東京から福島県浪江町に移住した。記者がその理由を尋ねると、こう答えた。「最も難しい問題と向き合いたかったから」。(共同通信=三吉聖悟) 【写真】「ともに」と描かれた電飾が光る中、海岸で打ち上げられる花火
▽ワシントンから福島へ 高橋さんは、1999年に外務省に入り、ワシントンの日本大使館で勤務した経験もある元外交官だ。日本に帰国した後も、東京・霞が関で仕事に明け暮れる日々を送っていたが、ジャパン・パッシングと呼ばれるほどの国力の低下に危機感を覚えた。外交のベースとなる国力が落ちていけば日本は立ちゆかなくなる。そう考えて、地方経済、特に1次産業の強化に関わろうと外務省を飛び出した。2008年からコンサルタント会社で勤務し、農業関連のプロジェクトを取りまとめた頃、東日本大震災が起きた。 それからは被災地を軸とした生活にシフトし、東北の食文化復興を目指す一般社団法人「東の食の会」(東京)の設立に参加した。ここでコンサルで培ったビジネススキルが生きる。三陸の水産事業者らと開発した「Ca va?(サヴァ)」の文字が目を引く洋風サバ缶を世に送り出し、大ヒットさせた。 産業復興へ携わることに手応えを感じつつも、復旧が進む津波被災地と違い、バリケードに閉ざされたままの原発周辺の町が、ずっと気にかかっていた。その思いを抑えられず、2021年に浪江町に移住する。原発事故で全ての住人が役場ごと町外に避難し、まだほとんど戻ってきていなかった。そんな地域で、コミュニティーの回復という最も難しい問題があるのに、何もしないでいるのが耐えられなかった。