ノーベル平和賞・被団協代表委員 箕牧さんインタビュー「米一粒が平和につながる」
ノーベル平和賞受賞が決まった全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会代表委員の箕牧智之さん(82)が、日本農業新聞のインタビューに応じた。広島県北広島町の農家でもある箕牧さんは、営農をしながら核なき社会の大切さを広めてきた。「米一粒が平和につながっている」とし、食料安全保障を支える農業を守る重要性を語った。
大先輩いたからこその受賞
世界中に平和を訴求する団体がある中で、受賞を聞いて「夢みたいだ」と思って、思わず頬をつねった。 広島市役所で吉報を聞いた。実は、10年くらいになるのか、毎年、ノーベル平和賞の受賞者を発表する時は記者会見をセットして、待っている。内心では今年も受賞しないと思っていた。イスラエルのガザで血まみれの子どもたちを救おうとするような団体が受賞するのではないかと予測していたので、まさか被団協が受賞するなんて思わなかった。本当に驚いた。「夢か、本当か、マジか」と口走ったほどだ。 1945年、8月6日。広島に疎開していた私は当時、3歳だった。被爆して逃げて来られたであろうぼろぼろの服を着た女性が、母に、缶詰を渡して「開けてくれ」と頼んだ光景を覚えている。 そして原爆投下の翌日、広島駅の近くで働いていた父親を探しに母と弟と市の中心部に行き、そこで被爆した。丸焼けの地を3日間歩いた。自宅に帰ると父は戻っていた。父は地下にいて死なずにすんだ。もっと原爆のこと、平和のこと、戦争のことを父から聞いておけば良かったと今から思う。自分だけ命が助かったことにためらいがあったのか、父は何も語らなかった。 あの原爆投下から、来年で80年になる。80年の節目を前にしてノーベル賞の受賞となった。「核と人類は共存できない」という言葉を残した広島県被団協の初代理事長、故・森瀧市郎さん、核廃絶に向けて「ネバーギブアップ」と戦った故・坪井直さんら大先輩がいたからこその受賞だ。偉大な先輩方に、受賞を報告した時はこみ上げるものがあった。