「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」「最高だった」化学兵器サリンを生成した男が語ったこと
土谷は大学院で、光による有機化合物の化学反応などを研究していた。詳細はよく理解できないが、応用範囲は広そうに感じた。研究室のことや内容に関する質問から、淡々と始めていった。 「面白い研究してたんだね」 そのうち目を開けて、ジッとこちらを見ながら話を聞くようになった。そして、簡単な答えから自然にしゃべり始めた。 「大学院時代の研究は目標が見えなくて、ただただ日々を過ごしていた。このままでいいのかと、いつも思ってた」 「残って頑張れば、教授にもなれたんじゃないの?」 大きく首を振って「僕なんか無理ですよ」と言う。 「博士課程にも進んだけど、教授になれるほどの能力もないし、挫折しかかってた」 能力はあったのに、コンプレックスも持ち合わせていたのかと感じた。しばらくの間、このようなやりとりをしてから、 「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」 「最高だった」 「どんなところがよかったの?」 「何でも好きな研究をさせてくれた」 「君の研究室を見てきたよ。いろんな機械があったね。ガスマスや、高性能のIR(赤外線分光分析装置)もあったね」 「お金はいくらでも出してくれました。高性能のものを揃えてました」 「コンタラボあったね。あれは何に使うの?」 「自動的に有機合成する機械で、まだ実験中だった」 「私は学生時代は分析化学が専門だったから、あんなの見たことないよ」
3人になると土谷はサリンについて徐々に…
このとき、取り調べ補助が部屋に入ってきた。話の内容がオウムでの研究に及んだので、記録を取るためだと思った。 「実験棟の入り口にあった反応タンク、凄いね」 「あぁ、あれね」 明らかに、態度が硬化したのがわかった。話は途切れがちになった。 「サリンの文献があったけど、サリンの研究もやってたの?」 と尋ね始めると、だんだん答えなくなっていく。 「実験ノートを見せてもらったんだけどね」 「………」 「沸点と融点の測定データが書かれてて、その数値がサリンのものと一致するんだけど」 などと話しかけたが、完全黙秘になっていった。そして最初のように、目を瞑ってしまった。記録係はまた部屋から出て、2人きりになった。 オウム真理教の「土谷が落ちましたよ」化学兵器サリンを生成した男が自供した“驚きの理由” へ続く
服藤 恵三/文春文庫
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