一青窈さんのチャリティライブ活動が、百年続きますように。「たったひとりのためにでも歌いたい。」
末期がんの母が音楽で元気に。外出できない患者さんたちのために始めた病院ライブ
一青さんがチャリティライブに力を注ぐようになった背景には、高校生のときに最愛の母を亡くしたことも大きく影響している。末期がんで闘病し、抗がん剤の投与を受けていたお母さまが友人とミュージカルを観に行った日、人が変わるほど元気になって帰ってきた。お母さまのその姿を見て、音楽の持つ力を実感したという。 「母にはずっと病気のことを隠されていました。私は母が胃潰瘍だと思い込んでいたので、入院中も普通に学校に通って友だちと遊んでいたんです。末期がんと知らされたときは本当にショックでした。母を亡くしてからは、ひたすら詩を書いて心を落ち着かせていたのですが、車いすの仲間たちとバンドを組んでライブをするようになると、歌うことが一番の慰めになっていきました。今でも病院ライブを続けているのは、母の看病をちゃんとできなかった悔しさもあるからだと思います。 抗がん剤ではなく音楽で活力を取り戻した母や、病院で私の歌を聴いてよろこんでくださる方々を見ていると、音楽の可能性を感じます。会話や表現が苦手な子でも、音楽を通すと素直にハグしてくれたり、重度の障がいを持っている子が涙を流して反応してくれたり。ライブを聴いて心拍数が上がったおかげで、子どもが手術を受けられるようになったという親御さんの話を聞いたときは、とてもうれしかったです。音楽療法は日本ではあまり馴染みがないですが、そういったミラクルを聞くと、この活動を続けていて良かったなと思います」
どんな場所でも「呼ばれたら行く」をスタンスに
一青さんがこれまでに実施したチャリティライブの数は30本以上。大勢の人の前で歌うこともあれば、たったひとりのために生歌を披露することもある。国内でも海外でも、「呼ばれたら行く」のスタンスを貫いてきた。 友人の家族が入院しているから歌いに来てほしいと頼まれれば、病院のロビーや談話室などでアコースティックギターをバックに歌ったり、大きなホールのある病院では、外来患者も聴けるようなシークレットライブを開催したり。希少難病で外出できない子のために、自宅に歌いに行ったこともある。海外では、カンボジアの地雷除去活動の現場や、ケニアにあるアフリカ最大級のスラムの学校、ミャンマーの孤児院などで歌った。恐れや不安よりも、知りたいという思いがフットワークを軽くさせた。 「つい先日行ってきたのは、千葉の滝郷学園という児童養護施設。ボクサーの苗村修悟さんと知り合いで、彼の出身園ということでお誘いいただきました。そこで出会った18歳の男の子が、家庭の事情で施設で暮らしていると話してくれたのですが、ギターとピアノがとても上手な子だったんです。ピアノで『ハナミズキ』をリハーサルなしで情緒的に弾いてくれて、とても感動しました。病院や施設って重苦しい雰囲気を想像するかもしれないですが、どこにいても子どもたちは明るくキラキラしていて、希望を感じます。歌っている自分の方が元気をもらうことも多いです。 被災地にも何度か足を運んでいて、今年に入ってからは能登半島地震で被災した方々の二次避難所に歌いに行ったし、石川県立能登高校の卒業式でサプライズコンサートもやりました。歌う場所はどこでもいいし、聴いてくださる方は何人でもいい。体力のあるうちにできる限りいろんなところに行って、ひとりでも多くの人を歌でチアアップしたいです」