一青窈さんのチャリティライブ活動が、百年続きますように。「たったひとりのためにでも歌いたい。」
誰かの希望になれるなら、どんな場所にでも行って、生歌を届けたい。「もらい泣き」や「ハナミズキ」で知られる歌手の一青窈さんが、デビュー前からずっと続けてきたことがある。それは、音楽を聴くことが困難な状況にある人たちに、無償で歌を披露するチャリティライブ活動だ。デビュー20周年を機に「gigi project(ジジ プロジェクト)」を発足し、今まさに活動を本格化させている。あえて公にはせず、30年間も地道に取り組み続けてきた社会貢献活動の軌跡、そしてその先に一青さんが見据えるものとは。 【写真】チャリティライブに力を注ぐ一青窈さん
音楽活動の原点は「障がいがある人たちのためになりたい」という思い
障がいがある人たちのために、何かできないか。一青さんがそう思い始めたのは10代の頃。中学時代のクラスメートが、突然の事故で下半身不随になったことがきっかけだった。車いす生活になった友人と街中へ出かけるようになると、ひとりで歩いているときには気付かなかったさまざまなバリアに直面。車いすで普通に日常生活を送るだけでも、決めなければならないことや制約がたくさんあると知った。 「車いすで電車移動するためには、駅員さんによるスロープの介助が必要です。どこの駅で何時何分に乗り降りするか、何車両目に乗るかを毎回伝えないといけません。外食するときの店選びの基準は、味よりも店内の構造。間口が狭い、もしくは階段を使わないといけないような店は、入りたくても入れません。服を買うにしても、座ったままで着脱が楽にできるものでないと着られない。そうするとデザイン性で選べないことがほとんどで、おしゃれを楽しむことも難しい。車いすの友人をそばで見ていて、障がいがあるとこんなにも生きづらい世の中なのかと思い知らされました」 大学1年生のときに飛び込んだのが、雑誌の世界だった。車いすユーザー向けの情報誌『チェアウォーカー WaWaWa』に1999年の創刊から携わり(2013年より休刊)、アートディレクターとして表紙のデザインを手がけたり、コラムや詩を書いたり、積極的に誌面作りに取り組んだ。その傍ら、車いすユーザーの編集スタッフたちとバンドを結成。全国各地の社会福祉施設や老人ホーム、病院などに出向いてライブ演奏をするボランティア活動をスタートさせたのは、ちょうどこの時期だった。 転機となったのは、聴覚障がいのある人たちの前でライブ演奏をしたとき。歌詞を手話で伝えながら、観客にはコンドームを膨らませた薄い風船を抱いてもらうことで、音の振動が伝わりやすい演出を取り入れた。たまたま会場に来ていた芸能プロダクションの社長が一青さんのライブに感銘を受け、社長の紹介で音楽プロデューサーの武部聡志さんと出会う。そこからデモテープの制作が始まり、後にデビュー曲にして大ヒット作となる「もらい泣き」が生まれた。2002年に歌手デビューした後も、多忙なスケジュールの合間を縫ってチャリティライブ活動を続けてきた。