被災地で進む「緑の防潮堤」 津波を抑えることはできるのか?生育と防災効果を探る #これから私は
林野庁所管の森林総合研究所は、津波の内陸部への到達時間が防災林によって30~60秒遅れるとするシミュレーションを示している。現在のところ、樹木は海岸の「最前線」よりも、内陸で機能をしっかり果たすことが求められていると言えるだろう。
「除染」から「鎮魂の森」へ
岩沼から南へ約50キロ。福島県南相馬市でも、海岸線と並行して「森」が築かれていた。 きっかけをつくったのは同市在住の岩橋孝さん(63)。東京のNPO法人「森びとプロジェクト委員会」のメンバーとして長年、宮脇式植林に携わってきた。
震災と原発事故で自らも市外で2カ月間の避難生活を送り、地元に戻ると沿岸部が壊滅状態だった。その海岸林の再生に、宮脇氏の提唱する「森の防潮堤」を取り入れられないかと市に提案した。 「2011年の夏ごろのことで、当然ですが『まずは除染』という状況。しかし、1年ほどして当時の桜井勝延市長に直接相談したところ、『ぜひやろう、早くやろう』となりました」 こうして市内の鹿島区、原町区、小高区で、海岸の一部の総延長約9.7キロを「鎮魂の森」とする計画がまとまり、第1回植樹祭を2013年10月に開催。以来、市民ら約1万7000人が15万本以上の苗木を植えてきた。 土地の大半は林野庁管轄の国有地ではなく、福島県の県有地だ。海岸のコンクリート堤防から、陸側約200メートルにわたってクロマツの防災林。途中、一段高く盛土され、シイやタブノキなど二十数種類の広葉樹に覆われている。
岩橋さんは現在、地元の仲間18人ほどでボランティアの「応援隊」を結成。植樹地の草刈りや育樹、苗木の管理を担う。 「家族を津波に流されたメンバーにとって、地面に根付き、成長する木はまさに鎮魂の象徴。街全体としてはまだ復興したという気になれないが、100年、200年後に『先人はこうやって津波を軽減させたんだ』と言われるよう、市民の力で育てていきたい」
南海トラフ地震にも備える「多重防御」
「海岸はさまざまな地権者が複雑に絡み、一体として整備することがまだまだ難しい」 と鎮守の森のプロジェクトの水田事務局次長は指摘する。 同プロジェクトは、これまで被災3県6市町で計50万本以上の植樹に関わってきた。しかし、中には権利関係や予算不足などの理由から、地元の協力がうまく得られなくなった地域もあるという。