「認知症になった母の変化」を家族全員が受け入れられず、事あるごとに母を責めてしまった… ヤングケアラーだった著者に聞いた
いつも優しく明るい⾃慢の母が48歳で若年性認知症を発症。その⽇から、“幸せだった毎⽇”は徐々に崩れていく――。学校から帰宅すると、外をふらつく⺟を捜して連れ戻したり、排せつの後始末をしたりする日々。小学5年生から始まった母の介護、ヤングケアラーだった子ども時代を描いた漫画「48歳で認知症になった母」について、原作者・美齊津康弘さんにインタビューを実施。壮絶な環境に置かれた際の思い出や、ヤングケアラーを支援する活動について話を聞いた。 【漫画】「48歳で認知症になった母」をイッキ読み ■ヤングケアラー支援に最も大切な事は、彼らを孤立させないこと ――この作品を通じて、読者にどんなことを感じてほしいですか? 【美齊津康弘】ヤングケアラーになる事は珍しいことではなく、誰にでもあり得ます。すでに大人になった方々であっても、もしかしたら自分がそうなった可能性は充分あります。だから、読者の皆様には、まずはこの作品を通じてヤングケアラーの実態を知って頂き、この問題を「人ごと」ではなく「自分ごと」として捉えて欲しいと思います。 ――認知症ケアをする中で、特に大変だったことや工夫したことはありますか? 【美齊津康弘】特に大変だった事は、家族全員が母の変化を受け入れられず、事あるごとに母を責めてしまうため、その結果母も不安を募らせて認知症状が酷くなってしまうという悪循環に陥ってしまうことでした。今私はケアマネジャーになってわかりますが、家族の力だけでこの悪循環から抜け出すことは大変難しいため、そこは第三者の支援が必要な所だと思います。しかし当時は誰もそのことを知らず、ケアの工夫の仕方もわかりませんでした。 ――ヤングケアラーとしての経験が、自分の人生や価値観にどのような影響を与えましたか? 【美齊津康弘】当時の経験は私の生き方や価値観に大きく影響しています。今でも子どもの頃の孤独感や将来への絶望感は強く心に残っており、ときどき思い出しては胸が苦しくなることがあります。そしてそのようなときは同時に「介護で苦しんでいる人の心を支えたい」という思いも湧いてきます。恐らく私は、昔の自分を救いたいのだと思いますが、今思えばこの想いは私の人生の目標になってきました。 今ケアマネジャーをしていることや、地域の助け合いを広げるための活動に取り組んでいるのも、この想いが原点にあります。 ――漫画の連載を通じて、読者からどんな反響がありましたか? 【美齊津康弘】多くの方から「壮絶ですね」とか「読んでいて切なくなった」と言う感想をいただきます。それと同時に「勇気をもらった」とか「救われた気がした」と言うポジティブな感想も多く、そんなときは、この作品を書いたことで、誰かの役に立てた気がしてとてもうれしく思います。また文字ではなく漫画で発表されたからこそ、これだけ多くの人が読んで下さったのだと思います。改めて漫画の発信力の大きさに驚いています。 ――今後の作品や活動について、どのような展望を持っていますか? 【美齊津康弘】ヤングケアラー支援に最も大切な事は、彼らを孤立させないことだと思います。その為には、まず彼らの周りの人々の考えや行動を変える必要があります。だからそのための啓発活動を今後も続けていきたいと思います。私は一昨年前から地域の住民や福祉の専門家向けに講演会をするようになりました。その講演会ではいつも漫画の紹介もしています。また昨年、知り合いの音楽家と共にこの漫画のテーマソングを作り、CDを発売しました。作詞は私です。このように講演会だけでなく、「漫画」と「音楽」という誰にでも馴染みやすい手段を使いながら、多くの人にヤングケアラーの事を伝えていきたいと思います。 ――認知症ケアに取り組む家族やヤングケアラーに対して、何かアドバイスやメッセージはありますか? 【美齊津康弘】大切な家族が認知症になるのを目の当たりにすることはとても辛い事です。一番身近な家族だからこそ、受け入れることが出来ないのは当然です。だから家族だけで抱え込まずに、 早い段階で第三者の専門家に相談してください。 家で介護をするためには、介護者(ケアラー)の心身の健康が大前提です。例え家族だけで介護をしようと思っても、最初の段階で外部と繋がる小さな風穴を開けておくことが大切です。また介護者が子どもの場合、子どもは自らSOSを発することが殆どないので、周りの大人が気付いて話を聞いてあげることも大切です。 著:吉田美紀子、原著:美齊津康弘/「48歳で認知症になった母」