「ヌード以上の衝撃」水沢アキが語る「篠山紀信」との撮影
「ヌード以上の衝撃になりました」
次の日、撮影がありました。でも私、当時はアイドル歌手でして、ヌードは厳禁です。マネージャーが仁王立ちになってチェックしていたので、先生はやりにくかったと思います。でもすごいんです。白のTシャツを着ました。下着はつけていません。そうしたら、「お化粧いやだから海に行って水で取って、それからメイクも全部流して、髪も水に浸かって。とにかく自然と一致する、一体になって」と言われたんです。そして「じゃあ上がってきてね」って言って、上がったその瞬間パチパチパチって撮った何枚かが今、皆様の思い出に、心に残る衝撃の一枚になったと思います。当時、ヌード以上の衝撃の写真になりました。 それをきっかけとして、その後も週刊ポストのグラビアに何十回もださせて頂きましたし、今、会場の後ろを見てびっくりしました。週刊朝日の表紙とか、家庭画報の表紙とか、たくさん先生に撮っていただいて、お会いしてたなあと思い出しました。 その後、私が結婚して育児をやったときも小学館にある『ピー・アンド』という育児雑誌で元主人と撮っていただいて。それから子供が生まれるたびにグラビアを出させていただき、先生のスタジオで写真を撮りました。その後、2020年に65歳で最後のヌードやったんですけれど、そのとき「自宅から見える桜がきれいだよ」っていう話をしたら、じゃあアキちゃんの家行こう! っていうことで小学館の方とか篠山事務所の中村さんが掃除してくれて、最後にうちのリビングで撮ったのが先生、最後でしたね。19歳から65歳までの46年間の私を一冊の写真集にしたのが今も出版されてますので、まだ見たことのない方。篠山先生のカメラ技法がつまった1冊になってますので、是非ご覧ください。
「ここにいるのは先生のおかげ」
そういえば皆さん、不思議なことがありました。今年の1月5日の早朝、私が自分の所有するスタジオの掃除をしようと思って渋谷駅に向かって歩いていたときのこと。お掃除に向かうからとってもラフな格好をしていたんです。スウェットにスニーカーのような。そうしたら、先生ですよね。突然声が聞こえて「だめでしょう。女優がそんな格好して歩いちゃ」って怒られたんですね。「えっ、篠山先生!?」って思って。いままでそんなことはなかったんですよ。でも先生の声が聞こえて、「だって今、私、これから下北沢の自分のスタジオの掃除に行くので、こういう格好で行かないと、電車にも乗るし……」「あんた、相変わらず減らず口叩いて。本当にもう……」って怒ってふぅっといなくなっちゃったんです。 そのあと電車内のニュースで「1月4日、篠山紀信先生がお亡くなりになった」ということを目にしまして。もしかしたら1月5日の早朝だから会いに来てくださったのかなって。先生ですよね。絶対いらしてますよね。あの時ね。神南小学校の前。だから、最後まで心配で来てくださったと思います。 それから、先生はご家族のことをすごく大事にしていらっしゃいました。いつも言ってましたよ。もう沙織ちゃん大好きなんですよ、先生。いつも照れながら質問に答えてくれて、楽しくお話を伺っていました。 なんかトリなのに全然取り留めもない変な話でごめんなさい。先生、今私がここにまだいるのは先生のおかげです。本当に感謝しかない。ありがとうございました。どうも皆さんありがとうございました。失礼します。 *** 多くの人が笑顔で会場をあとにするとき、水沢アキさんにFRaU編集部から少しお話を聞くことができた。アイドル時代、ヌードに近いセンセーショナルな撮影が実現したのはなぜだったのか。水沢さんは笑顔でこう答えた。 「だって、篠山さんは全力で球を投げてくるのよ。だからこっちも、そっちがそう来るなら全力でやる! ってなるの。そこに、脱がされたとか騙されたとかなんて、もちろんまったくない! 全力のぶつかりあいでした。そうしたら、写真を見ると想像を超えたすごいものが残るから、事務所も私もすごく嬉しかった。篠山さんに出会えてよかったです」 篠山さんはインタビューでこのようにも語っていた。 「写真を撮りに行くときに僕の気持ちはいつも晴れてるんですよ。その対象に向かって、それが人であろうと風景であろうか事件であろうと、なんでもそういうものに向かっていく気持ちはエネルギーに満ちて、それに向かってよし、撮ってやるぞ! というそういう気持ちをもっていく。それが僕にとっては写真家として晴れた日の気持ちなんですね」 エネルギーに満ちて「撮ってやるぞ!」と向かって行った作品たちが、いま私たちの前に多く遺されているのだ。
FRaU編集部