「10年後、日本の野球界は行きづまる」一人の野球指導者の危機感が、アマチュア球界を変える新リーグを生んだ~野球指導者・阪長友仁のビジョン前編~【『新しい高校野球のかたち』を考えるvol.6】
「十年後、日本は行き詰まる」ドミニカ野球に触れて感じた危機感
1981年大阪府交野市で生まれた阪長は、新潟明訓高校野球部で3年夏に甲子園出場。進んだ立教大野球部では4年時にキャプテンとしてチームを牽引した。卒業後は、旅行会社に就職するも、わずか2年後の2006年に離職。海外での野球指導活動を開始する。 スリランカやタイ、ガーナのナショナルチームで指導に当たったり、青年海外協力隊員として、コロンビアに2年間、JICAの企画調査員としてグアテマラに3年間駐在。そのグアテマラ駐在中の2012年、同じ中米カリブ地域のドミニカ共和国の野球と出会った。 ドミニカの野球との出会いは、阪長のこれまでの常識を大きくくつがえすものとなった。 「最初に指導者が選手たちと話しているのを見た時に、『これは10年後には、日本は行き詰まることになるぞ』と思いました。どうしてかというと、ドミニカでは指導者と選手の関係性が対等でありながらも的確な指導を行われていたんです。 10年前、日本の指導現場には、まだハラスメントなどの意識は薄かったです。しかし、いずれそのような意識が芽生えたときに、今のままではより良い指導方法を見つけられないのではないかと思いました。 日本の場合は、指導者が上にいて、指導者から指示が出て、選手はそれに従わなくてはいけません。そして、選手は指導者に対しても良くない意味での恐怖心を持っています。指導者に怒られる、ちゃんとやらないと叱られる――。そういう関係性がとても強い。 でも、ドミニカの場合はそうではないんです。指導者は選手と同じ立場にいながら、選手たちがいろんなことを掴んで成長していくために存在していました。 それを見た時に、『こんなふうに選手の指導ができるんだ!』とおどろきました。これほど対等な関係で、選手の成長につながるアプローチができるということを目の当たりにした時に、10年後の日本はどうなっているんだろうと怖くなったんです」 ドミニカの野球に衝撃を受けた阪長は、日本の高校野球を変えるために動き出した。だが、今も10年前に感じた危機感は残っている。 「減ってはきているものの日本ではまだ、指導者からの体罰や暴言があり、指導者の判断で、選手に機会を与えないとか、選手を干すとか、相手にしないとか、いろんな問題をいまだに、はらんでいるんですよね。一方で、逆に少し強く指導するとハラスメントだと訴えられるのではないかと指導者自身も悩み、適切な指導ができないということもあると思います。そこに対して、みんな解決策を見いだせない中で苦労しているのではないでしょうか」
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