日本に「三笘の1ミリ」でまさかの敗戦、EURO優勝国が「W杯予選」で敗退を繰り返していた時代【「奇跡の12ゴール」最強スペインが産声を上げた日】(1)
■さらに悲惨だった「ワールドカップ」
そのスペインが、1970年代にはワールドカップ予選敗退を繰り返し、欧州でも「古ぼけたサッカー大国」として低迷していたことを、あなたは信じられるだろうか。 欧州選手権は1976年まで、準決勝以降が「決勝大会」という小さな大会だった。1964年大会で優勝した後、スペインは1968年と1976年は予選グループを突破したものの、ベスト8で争われる準々決勝で敗れ、「決勝大会」にコマを進めることができなかった。1972年は、ソ連、北アイルランド、キプロスで組んだ予選グループから抜け出すことができなかった。 欧州選手権は1980年イタリア大会から大きく様変わりし、8チーム出場の「大きな大会」となった。スペインは予選を突破して出場権を獲得したものの、グループステージで地元イタリアに0-0で引き分けた後、ベルギーとイングランドにともに1-2で敗れてグループ最下位に終わった。 ワールドカップはさらに悲惨だった。1966年イングランド大会に出場したが1勝2敗に終わり、グループリーグで敗退。1970年メキシコ大会、1974年西ドイツ大会では、連続して欧州予選で敗退して決勝大会出場を逃したのである。ちなみに、当時のワールドカップは出場16チームの大会で、欧州に与えられた出場枠は9(1970年)、9.5(1974年)だった。当時はFIFAランキングなどないが、スペインは欧州のベスト10に入るかどうかという存在だったのだ。
■小さかった「プレーのスケール」
1978年にアルゼンチンで行われたワールドカップでは、欧州予選(ルーマニア、ユーゴスラビアと組んだ)を突破して12年ぶりに出場を果たした。初戦でオーストリアに1-2で敗れ、ブラジルとは0-0の引き分け、最終戦でスウェーデンに1-0で勝ったものの、グループ3位に終わり、そこで大会を終えた。 この大会で、私はオーストリア戦とスウェーデン戦のスペインを見たが、本当にパッとしないチームだった。全体に小柄で、ボールテクニックは高いのだが、アルゼンチンやブラジルと比較するべくもなく、プレーのスケールは小さかった。守備を固めて少数の選手でカウンターを狙うチームだった。 「エース」と目されていたのはフアニート(フアン・ゴメス・ゴンサレス)。スピードを武器とするレアル・マドリードのアタッカーだった。中盤ではアセンシ(フアン・マヌエル・アセンシ・リポル)がゲームメークを担当していた。だが、チームの実質上の中心選手はGKのアルコナーダ(ルイス・ミゲル・アルコナーダ・エチャリ)だった。レアル・ソシエダ所属。スペインの守備は、彼に大きく依存していた。
大住良之
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