【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第23回「懸賞」その1
持参したのが直前の春場所で36回目の優勝をしたときに獲得した懸賞だった
落ちぶれて、袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知る、という民謡の歌詞があります。 コロナ禍の中、ドタバタしながらもなんとか令和3年初場所が幕を開けましたが、初日直前の緊急事態宣言で観客数を急きょ、5000人に減らさざるを得ませんでした。 試練、また試練ですね。 でも、幕内の取組にかかる懸賞は、たった100本減っただけで1300本を数え、芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「こんなときに、非常にありがたい」と涙を流さんばかりでした。 ところで、あの懸賞、手取りが1本3万円ですが、力士たちはいわゆる小遣いとしてではなく、実に上手に使っています。 そんな懸賞のおもしろい使い道を紹介しましょう。続編は後日。 ※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。 白鵬は誰よりも相撲を愛していた――入門時から見つめ続けた同郷のカメラマンが語る 恩人のお見舞いに 大相撲界では、懸賞は勝たなくては獲得できないものだから、縁起がいい、とされている。現役力士でこれまで最も多くこの懸賞を獲得したのは、もちろん白鵬(現宮城野親方)だ。 この白鵬が相撲留学のためにモンゴルから来日し、初めて身を寄せたのが大阪府大東市にある「摂津倉庫」だった。その摂津倉庫の浅野毅会長が内臓疾患のために77歳で亡くなったのは平成28(2016)年4月27日だった。この浅野会長がまだ存命だったとき、白鵬は病院を訪ね、見舞っている。このとき、持参したのが直前の春場所で36回目の優勝をしたときに獲得した懸賞だった。それも千秋楽に日馬富士を破って優勝を決めた一番にかかっていた特別な1本であった。 「会長は、横綱から力を頂いた、とめっちゃ喜んでくれて、さっそく奥さんが(病床から)見えるところに置いてくれました」 と白鵬はその様子を明かしている。 残念ながら、白鵬の力づけの甲斐もなく、会長は亡くなり、ちょうど夏場所前の稽古が佳境に入ったときだったが、白鵬も大阪府内の葬儀所で行われた通夜に東京から日帰りで参列した。その翌日、白鵬は朝稽古が終わったあと、 「あの摂津倉庫が自分の原点なんです。自分も、亡くなった会長みたいに(困っている)いろんな人にあたたかい手を伸ばしたい」 としんみり話していた。懸賞はこんな使い道もあるんです。 月刊『相撲』令和3年2月号掲載
相撲編集部