「クリスマスケーキ」には日本の“古きよき時代”が詰まっている?「クリスマス=ケーキ」はなぜ定番化したのか
日本で典型的なクリスマスアイテムと言えば、クリスマスツリーと飾りつけにクリスマスソング、プレゼント、チキン、そしてクリスマスケーキである。11月ともなれば、百貨店や洋菓子店がクリスマスケーキの予約販売を打ち出し、盛り上げ始める。 【グラフで見る】クリスマスケーキの値段はどれくらい上がった? しかし欧米人には、キリスト教徒でもない日本人がクリスマスケーキを毎年楽しむ光景が、奇異に見えるらしい。「クリスマスケーキなんてあるのは、日本だけだよ?」――それはなぜ、どういうことなのだろうか? シーズン真っ盛りの今、改めて考えてみたい。
■「クリスマスケーキ」食べるのは日本だけ? まず、その疑問は若干の語弊を含む。欧米各国には独自のクリスマススイーツがあるからだ。イギリスにはドライフルーツがたっぷり入ったクリスマスプディングや、クリスマスの日から12日間毎日食べると幸せが訪れるとされるミンス・パイがある。ドイツにはシュトレンが、フランスにはブッシュ・ド・ノエル、イタリアにはパネトーネがある。しかし、どれもスポンジケーキではない。
欧米では、クリスマスは大切な宗教行事で、逸話や食べ方のルールが決まった伝統的な独自のスイーツが、それぞれの国で発展した。一方、日本のキリスト教徒の割合はわずか1%程度。日本でもキリスト教は一定の存在感はあるが、何百年も続くクリスマスの伝統的な食べ物もなかった。 しかし明治以来、欧米文化は憧れの対象で、表面的にでも採り入れることが「ハイカラ」などと褒められてきた。欧米コンプレックスが減った今でも、欧米風の食べ物は「おしゃれ」と形容されがちだ。そんな心理を突いた企業のマーケティングの中で最も浸透したのが、クリスマスだった。
では、クリスマスケーキは、いつ、どのようにして日本に根づいたのか。 きっかけを作ったのは不二家。砂糖の統制が解除された1952年、東京・横浜・京都・大阪で展開していた同社が、全店でクリスマスセールを行った際の目玉が、クリスマスケーキだった。 高度経済成長期は、1953年に開業した数寄屋橋店の周辺に、不二家の赤い箱を持ったサラリーマンであふれた。不二家は1968年までに全国100店舗まで広がり、「子どもの頃は、ケーキと言えば不二家だった」と昭和育ちの地方出身者が言うほどなので、影響力は絶大だったのだろう。