「あんなのに、負けるわけない(笑)」落合博満43歳が巨人・清原和博を挑発…FA移籍「落合vs清原」騒動の後、落合が明かした「巨人はいい奴ばかり、選手はね」
「巨人もいい奴ばかりだったよ、選手は(笑)」
いわば、チームの広告塔の役割をこなしたわけだが、グラウンドでは36歳の広瀬哲朗が落合と若手とのつなぎ役を買って出てくれ、コミュニケーションを取った。2月13日には、前年より5日早くエア・ドームで打撃練習を開始。200球も打ちこみ、直後にノックを受け、さらにドーム内で若手に打撃指導も行なった。医学博士に「35歳の体」と絶賛される調整ぶりで、3月1日にはオープン戦に初出場。5日の阪神戦では「四番一塁」で初の先発メンバーで起用され、センター前へ移籍後初安打を放った。すべてが順調に思えた新天地での落合だが、その裏で不安要素も抱えていた。 「前年(96年)の8月31日にデッドボールを受けて左手小指を骨折していた私は、その後のペナントレースをすべて棒に振っていたが、長嶋監督の要請でオリックスとの日本シリーズには出場した。バットを振れる状態ではなく結果は散々だったが、もっと深刻だったのは、日本シリーズに間に合わせるために無理を承知で打撃練習を行なったため、体全体のバランスが悪くなっていたことだ」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社) さらに巨人時代のキャンプは、練習場から宿舎まで約5キロの道のりを早足でウォーキングすることで下半身作りに励んだが、日本ハムでは体力温存のため取りやめた。年齢的な体力の衰えがないといったら嘘になる。それでもオレ流は、弱音を吐くようなことはしなかった。インタビューで古巣・巨人のことをよく聞かれたが、「前のチームのことはもう知らないよ、忘れた」と笑い飛ばしながらも、どこか吹っ切れたようなコメントを口にするのだ。 「ジャイアンツも選手は、ホント素晴らしいんだよ。実は、あの昨オフの俺の退団騒動の頃も、選手からは毎日のように電話が入ってきていてね。いろいろと巻き込むのがイヤだったから言わなかったけれど、いい奴ばっかりだったんだ、選手は(笑)。(中略)だから選手が頑張って、ジャイアンツが優勝してくれればいいよね」(週刊ベースボール1997年3月10日号)
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