「あんなのに、負けるわけない(笑)」落合博満43歳が巨人・清原和博を挑発…FA移籍「落合vs清原」騒動の後、落合が明かした「巨人はいい奴ばかり、選手はね」
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が3刷重版と売れ行き好調だ。 1996年オフ、43歳になる落合博満は巨人を電撃退団する。「巨人軍vs.落合博満」その後の物語。あまり語られていない日本ハム時代の落合……なぜたった2年で現役引退したのか? 【全3回の前編/中編、後編も公開中】 【貴重写真】見たことある?「幻のヤクルト落合博満」ノムさんと入団交渉する落合博満、「ベンチでキレる」落合&20代落合のカッコイイ発掘写真まですべて見る(30枚超) ◆◆◆
「巨人の選手とは違って…」
「昔ほどじゃないけど、パの選手の方がセの選手より必死でしょう。ちょっと活躍しただけでスター扱いの巨人の選手と違って、ずっと活躍し続けないと世間に名前を覚えてもらえないわけだから。オレも10年間、セ・リーグにいて、ひょっとしたらその必死さが薄れていたかもしれない。そういう意味ではパ・リーグにきて良かったんじゃないかと思っている」(Number415号) 1997年春、43歳の落合博満は新天地の日本ハムで饒舌に語った。春季キャンプが行なわれる名護市営球場には、上田利治監督の就任時を上回る球団創設以来最多の98人もの報道陣が押し寄せ、テレビカメラ12台、スチール13台が真新しい背番号3を追いかけた。
“落合広報担当”「巨人時代とキャラ変」
オレ流は「セだろうが、パだろうが、野球は野球」と飄々と口にする一方で、寡黙だった巨人時代とは打って変わり、“落合広報担当”と呼ばれるほど毎日マスコミに向かって喋り続けた。その言葉が新聞の見出しとなり、若手野手にアドバイスをすれば“落合道場”だと騒がれる。当時はまだセ・パの人気格差は大きく、上田監督は落合獲得の理由をのちにこう明かしている。 「優勝争いをするためには、いま一つ力が足りない。しかも日本ハムの人気を高めるためにも“顔”が欲しい。看板選手が欲しいということで、鴨川の秋季キャンプの時、小島球団代表と今井球団常務にお願いして……」(日本プロ野球トレード大鑑1936-2001/ベースボール・マガジン社) レギュラー候補生の上田佳範や西浦克拓、ルーキーの小笠原道大といった若手有望株はいたが、現時点で彼らに中軸を任せる存在感はない。田中幸雄や片岡篤史といった実力派選手も、露出の少ないチーム環境もあり、世間的な知名度という意味ではまだまだだった。だからこそ、1996年オフに“中年の星”と世の中の話題を集めたスーパースターの落合を欲したのだ。 当時の落合は、オフになるとフジテレビ『料理の鉄人』やテレビ東京『ザ・スターボーリング』にゲスト出演するなど、各メディアに大人気で、信子夫人は97年春からフジテレビの『森田一義アワー 笑っていいとも! 』にレギュラー出演している。
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