海底の坑道には、今も183人の遺体が閉じ込められている…82年たっても政府が調査に後ろ向きな理由 山口「長生炭鉱」の犠牲者と、戦没者との差
▽追悼碑建立 手紙がきっかけとなって、韓国でも1992年に遺族会が結成された。宇部の「刻む会」は、1993年から韓国の遺族を招き、追悼集会を開いている。 刻む会は2013年、現場近くの海岸の土地を取得し、2本のピーヤを模した追悼碑を建立。それぞれに「日本人犠牲者」、「強制連行 韓国・朝鮮人犠牲者」と記し、犠牲者名も刻んだ。 以来、毎年2月3日の追悼式は、追悼碑前で行われている。追悼式では砂浜からピーヤに向け、海に献花する。 ▽国が収集するのは「見える遺骨」だけ 初めて韓国の遺族たちが参加した刻む会と国との意見交換会が2023年12月8日に開かれた。国会の議員会館で、厚生労働省などの政府担当者に遺骨調査を求めた。 おじの楊壬守さんを亡くした韓国遺族会の楊玄会長(76)は、こう声を振り絞った。 「日本政府からの謝罪と遺骨発掘を強く要求してきたが、80年が過ぎた今も何の返事もない。悔しく、もどかしい」
刻む会の井上洋子共同代表(73)も発言した。「陸地にある坑口をショベルカーで掘り、水中ドローンで調査することができる」。国に現地視察を要望した。 それに対し、政府の回答は冷たいものだった。厚労省人道調査室の中村正子室長は「遺骨の埋没位置が分からないため困難。遺骨調査の対象は、寺院などにある『見える遺骨』だけ」とし、海底に沈む長生炭鉱の遺骨は対象外との認識を示した。 同席した社民党の大椿ゆうこ参院議員は政府の姿勢をこう問いただした。「調査対象を『見える遺骨』と限定しているのは、厚労省の内部の決まりに過ぎない。海底の遺骨も調査しようと裁量の幅を広げることもできるはずだ」 ▽戦没者遺骨は収集するのに… 日本の軍人・軍属だった朝鮮半島出身者とその家族の遺骨は、これまでに数千人分が韓国に返還された。東京・目黒区の祐天寺は、日本政府の委託を受け遺骨を保管しているが、多くは韓国に送還された。しかし民間の朝鮮人徴用工の遺骨収集・送還はそこまで進んでいない。外交問題になったのは、20年前にさかのぼる。