伝説の剛速球投手・山口高志氏は見た プロ野球生き残り「4割の壁」を越えた男たちの流儀
高校、大学、社会人それぞれのスーパーエリートたちが集うプロ球界。入団しても10年以上在籍できる確率は4割程度とされる厳しい世界だ。頭角を現し、長年活躍する選手にはどんな特性があるのだろうか。通算約30年間、オリックスや阪神などで投手コーチやスカウトを務め、阪神元投手、藤川球児氏(43)らを育てたことでも知られる山口高志氏(74)に聞いてみた。名伯楽が分析する成功の秘訣(ひけつ)とは。 【写真】「クビになりかけた」 最後通告に一念発起、43歳まで第一線で活躍した名投手 ■投げ込み3千球 能見篤史氏 山口氏が印象深い選手にまず選んだのが、阪神やオリックスで通算104勝を挙げた元投手、能見篤史氏(45)だ。 「能見のすごさは、練習への取り組み方。与えられたテーマをしっかりこなす。他の選手と同じ基礎練習でも、一つ一つの内容が濃かった」 平成17年ドラフト自由枠で阪神に入団。「巨人キラー」として活躍後、オリックスに移籍し、43歳まで投げ抜いた。プロ生活18年間を支えたのは強靱(きょうじん)な肉体だ。だが、もともと、体が強いタイプではなかった。 大阪ガス時代は故障がちで「クビになりかけた」(山口氏)。しかし、「今年ダメなら」との最後通告に一念発起し、復活した。「そこで、能見の野球人生が変わった」という。 阪神では「継続は力なりを信じ、決してブレなかった」。地道な練習にも手を抜かず、体を強化した。中でも、山口さんが注目したのが春季キャンプでの投げ込み。「約1カ月間のキャンプ期間中、3千球近く投げ込む。それを継続できたからあの年齢まで投げられた」と分析する。 豊富な投げ込みで、制球力も備わった。阪急の黄金時代を支えた山口氏の代名詞「伝説の剛速球」も、「毎日の投げ込み、走り込みで制球力とキレが出た。球と指先の感覚は、投げないと覚えない」と明かす。 能見氏が43歳まで第一線で活躍した裏には、鍛錬の積み重ねがあった。 ■驚異のメリハリ 山田久志氏 「メリハリのつけ方に驚いた」として、チームメートだった元阪急投手の名を挙げた。下手投げで最多の284勝を挙げた山田久志氏(75)だ。 春季キャンプでは「山田さんは体が仕上がるまで、絶対に外食をしない。街にも出なかった」という。当時、野手には「今日は打撃だけ、今日は守備練習だけ」という選手もいたが、「(野球にかける)山田さんのこだわりは特にすごかった」と振り返る。禁止生活期間は10日ほど。「体が仕上がれば、毎晩、外へ出ていたけどね。お店で酔っ払ってお金をばらまくほど羽目を外していた」と笑う。