「球界のドン」渡辺恒雄さん死去 制度から人事まで絶大な影響力
プロ野球・巨人の元オーナーで、スポーツ界に大きな影響力を持った読売新聞グループ本社主筆、渡辺恒雄氏が19日、肺炎のため98歳で亡くなった。 【写真】渡辺恒雄さん死去 読売新聞グループ本社代表取締役主筆 渡辺氏は1991年に読売新聞社社長に就任する前後から巨人の球団経営に影響力を持ち始めた。96年12月にはオーナーに就任、名実ともに球団のトップに立った。 その権威は巨人のみならず、プロ野球界全体に及んだ。球界の制度改革や新球団の参入、さらにはコミッショナーの人選さえ渡辺氏の意向次第とされるほどで、「球界のドン」と称された。 2004年の球界再編問題では、西武の堤義明オーナー(当時)らとともに1リーグ制の実現に向けて動いたが、世論の反発と労組日本プロ野球選手会の抵抗の前に頓挫。さらに巨人のスカウトがドラフト有力候補の大学生に現金200万円を渡していた不祥事が発覚し、同年8月にオーナーを引責辞任した。 しかし、翌年6月に球団会長として球界に復帰。11年11月には、球団代表だった清武英利氏が「渡辺氏がコーチ人事に不当介入した」と内部告発する「清武の乱」が起きたが、権勢は揺るがなかった。 野球以外では、サッカーJリーグがスタートした当時、チーム名に企業名を入れるべきだと主張。読売新聞社傘下だったチームの名称を「読売ヴェルディ川崎」(現東京ヴェルディ)と自社媒体で表記させるなどして、「地域密着」の理念を掲げて企業名の排除を求めた川淵三郎・Jリーグチェアマン(当時)と激しく対立した。大相撲では01~03年に横綱審議委員会の委員長を務めた。