「議論を好むフランス人」と「自己主張できない日本人」 地政学的条件が生んだ違い
自己主張が苦手な人が増える地政学的条件
議論をできるだけ避けようとするのは、日本人の目立つ特徴です。それでは、他のアジア諸国はどうでしょうか。中国人も韓国人もインド人も、一般的には日本人よりも発言することを好むようですし、日本人の基準からすると、自己主張が強いと感じられる場合が多いのではないでしょうか。 これは、一体なぜなのでしょうか。 一つには、地政学的な面での影響が大きいと考えることができます。多くの国は、他国と国境を接し、常に外敵との争いや好戦的な異民族の侵入や支配などをリスクとして抱えていたのに対し、日本は国内(集団内)における支配権争いが、主たる対人関係上の関心事でした。急に異民族がやってきて支配されることや、それらの人々に財産を身ぐるみ奪われたり、殺されたりすることは、ほとんどありませんでした。 社会の流動性は低く、集団外との交流も少ない状態で集団生活が続いていきます。リスクをより減らすために取られた策としては「鎖国」が最も知られた例でしょう。地域や血縁集団などにおける信頼関係はより強まり、そして誰もがどこかの集団に属していることが当たり前になって、そのことこそが身の安全を図るための重要な証明となります。 何せ、ただでさえリソースがギリギリの国であったのに、災害まで頻発しますから、集団で効率よく、みんなで助け合っていくことが、その環境で生き抜くために最も重要だったのです。 そして、そんな状況にもかかわらず集団に迷惑をかけたり、ルールに背く人間がもし現れたら、その人を集団に置いておくことは集団の人々の不利益に直結したのです。 現代の都市部に住んでいると、こうした考え方は今ではもう消滅しているのではないかと考えがちですが、地域によってはいまだに、回覧板を回さないとか、組合に加入させない、ごみを捨てさせてもらえないなどという、昔ながらの村八分が存在するというニュースが時折聞かれます。 相互に信頼が高い社会は社会性の高さの産物であって、結果として治安の良さや清潔さなどにもつながっているでしょう。しかし、相互の仲の良さ(社会性)の罠と言うべき部分も厳然と存在します。集団的排除といった、何か別のネガティブな側面とトレードオフになっている可能性があるわけです。
中野信子(脳科学者)