東日本大震災で亡くなった外国人たちの歩みから見出す、「ひとが生きる理由」
語られない外国人たちの物語
そんな腰が引けた自分と異なり、震災をテーマに掲げて継続的に取材活動をする書き手の人たちがいる。その一人が三浦英之氏だ。 本書は朝日新聞夕刊で連載していたものに加筆され、再構成されたものだ。私も連載中に目にして、これは見過ごしていた視点だと気付かされた。震災で亡くなった外国人たちのことだ。 著者がこのテーマに気づいたのは、2022年の暑い盛りだったという。 〈勤務先がある盛岡市内の焼鳥屋で、取材で知り合ったモンゴル人青年と楽しく酒を飲み交わしていた〉 その酒席の中、その青年から東日本大震災で亡くなった外国人の数がいまだ正確につかめていないらしいと聞く。そんなはずはないと著者は反論するも、調べだすとその数字は省庁によって異なり、詳細も明らかでないところがあるとわかっていく。 〈その不作為は(略)あまりに不平等であり、何より不正義であるように思われた〉 〈私はしばらく悩んだ末に、もし政府や自治体ができないのであれば、津波で亡くなった外国人たちを自らの取材で一人でも多く見つけ出し、彼らが生前暮らした土地を訪ね歩いていくことで、彼らが残した「生」の物語をたどれないかと考えた〉 それが本取材の出発点だった。 本書で取り上げられた外国人は米国、フィリピン、中国、パキスタンなど約9人。「約」とつくのは、描くまでに至らなかった人たちの姿もおぼろげに残っているためだ。 震災は10年以上前の出来事で、外国人であるがゆえに、関係者もけっして多くない。著者は同僚、在郷団体など、さまざまな方法から当時亡くなった外国人の姿に近づこうとする。 どんな人がいて、どんな生があったのか。 当然のことながら、それぞれの人生は母国が異なるのと同様に、人とのつながりも、背景のストーリーも異なる。その人物像を明らかにするために、著者は各地に赴く。 日本人の男性と再婚した母を追って16歳頃、岩手県大槌町にやってきた中国人男性はあの震災時に母をうしなった。当時18歳だった彼は悲しみに沈むが、彼はさらなる悲劇にさらされる。母が亡くなったことで滞在許可がおりないと言われてしまう。 『となりのトトロ』や村上春樹の小説など日本の文化に親しみ、憧れをもって米国からやってきた女性は、宮城県石巻市で外国語指導助手をつとめているときに震災に襲われた。享年24歳。日本人の女性教師とも仲良くなり、「日本と米国の架け橋になれるような仕事をしたい」と考えていた女性だった。 出稼ぎでやってきたフィリピンの女性を妻にもった福島県いわき市(当時)の男性。彼は福島第一原発に勤務していたが、津波の被害で妻と小6の娘を失った。 カトリック教会の宣教師として半世紀前に日本を訪れ、塩釜市の教会などに従事していたカナダ出身の神父(当時76)。彼は津波には襲われなかったが、震災の翌日、少し離れた場所で命を落としていた。 著者は、生前関わりがあった人たちを訪ね、亡くなった外国人たちの歩みを追おうとする。なぜ日本に来ていたかという基本的な問いのほか、どのように暮らしていたのか、そして、どのように亡くなったのか。 話はそこで終わらない。たいていはその外国人に関わった人たちのその後にも影響があるからだ。二転三転する人生もあれば、思わぬ展開で悲劇を受け入れる心境になることもある。そして多くの場合、異国の地で暮らしていた人の人生が、時間を経る中、周囲の人たちの間で回収されていく。そんな個々の断面を著者は自身の歩みも含めながら描いていく。 どういう事情かはわからないが、取材を拒まれた地域もある。その一方で、問われるのを待っていたかのように語る人もいる。その意味で、本書は津波で亡くなった外国人の話でもあると同時に、そんな彼らを支援し、見守ってきた人たちの話でもある。