「僕自身は空っぽの容れ物」――世の中の空気を歌に込め続ける桑田佳祐の今
メロディーが生まれた後、偶然に見知った出来事から歌詞の世界が広がっていくこともある。最新EP「ごはん味噌汁海苔お漬物卵焼きfeat. 梅干し」に収録の「鬼灯(ほおずき)」もそんな一曲だ。 〈お祭りの鬼灯が並ぶ社(やしろ)で/あの夏 日に焼けた君と出会い〉という歌い出しで始まる歌詞は、やがて〈私の頭を「妹みたい」って撫で〉、〈紅(くれない)燃ゆる海の彼方へ ひとり君は征(ゆ)くのか? 故郷(ふるさと)に残した思い出を 抱きしめて大空へ〉と綴られていく。 「以前にテレビで観た沖縄戦の特集番組で、94、5歳の女性の方がインタビューで話されていた。その方が10代の頃、20代で特攻隊として赴かれた男性が、優しい笑顔で『私の頭を撫でてくれた』ことを鮮明に覚えていたそうで。『あんなに明るくて親切にしてくれたお兄さんまでが……。命を奪い合う戦争を二度としてはいけない』と話されていたご様子が印象に残りましてね。男性が年の離れた女性の頭をふと撫でる。その仕草の優しさや、さりげないやり取りが、自分の心の琴線に触れたのか、紙にインクが滲むようにイメージが広がっていきました」
社会風刺の「上手い」/「下手」
1956年に生まれた桑田は、10代の頃に欧米のロックや日本の歌謡曲から影響を受けると、自分の居場所を探すようにバンドを始めた。1978年にサザンのリーダーとしてデビューを果たすと、40年以上にわたってありとあらゆる曲を書いてきた。デビュー当初は主にラブソングを歌っていたサザンも、80年代に入ると実験的なサウンドにトライしてロックバンドとしてのアイデンティティーを求め始めた。その過程で、旧満州の情景を歌った「流れる雲を追いかけて」(1982年)や、中国残留孤児をモチーフにした「かしの樹の下で」(1983年)といった曲も生まれた。 「正直、そこまで社会に対して問題意識を抱いていたわけじゃなかった。ジャーナリスティックな視点でロックやポップスを描くようなトレンドがあって、自分もそこに乗っかっていた。当時はエポックな出来事を描写するのも当たり前の風潮だったから、目に映る出来事をただただ歌にしていましたね」 ソロ活動においては国内政治の汚職や腐敗に言及した「孤独の太陽」(1994年)や9.11以降のアメリカに対する愛憎入り交じった批評が込められた「ROCK AND ROLL HERO」(2002年)が切っ先の鋭いアルバムとして知られている。 「よくそう言われるけど、僕の場合、曲に社会性を持たせようなどと最初から決めて作ったことはほとんどなくてね。書き始めの段階では、自分でも歌詞がどんな方向に転ぶかさえ分かっていない。意味合いやメッセージなんていうものも、シャッフルと偶然の掛け合わせで結果的に生まれるものだったりする。物事をどんな立ち位置から描くのか。それは映画でも絵画でも描いている過程で鮮明になるんじゃないかな? そんなストーリーを、極端な曲解は困るけど自由に感じてもらえたらいいと思う」