「僕自身は空っぽの容れ物」――世の中の空気を歌に込め続ける桑田佳祐の今
かつてはなかったSNSという存在が大きな影響力を持つ社会になった。 「『他人の不幸は蜜の味』というか、特定の人にとってはある種の快感みたいなものなんでしょうね。僕は(SNSを)やっていないけど、『じゃあおまえはどうなんだ?』と問われたら、やっぱり自分の中にもそうした意識が眠っていると思います」 「日々のニュースを見ていると、もう少し物事を俯瞰から見れば、何も全て『ノー』と斬って捨てなくてもいいのに、と感じることもあります。議論するのは大事だと思うけど、善悪の判断が簡単につかないことも多いはずだし。断罪や糾弾をすれば世の中がよくなって、弱い立場の人が救われるのかといえば、そういうわけではないだろうし。そんな元気やエネルギーがあるなら、ちゃんと選挙にでも行って世の中を変えるべく行動するとか、もっと違うやり方もあるんじゃないかと思うんです」
歌の世界の「男と女」にこだわりたい
現実の世界を思えば「これ大丈夫かなお化け」が時折顔を出すが、歌の世界では昔と変わらず大切にしたい詩情もある。 「最近、改めて自分が慣れ親しんだ昭和歌謡について考えてみると、歌の物語の中で、男は自分を『俺』と言い、相手の女性のことを『おまえ』と呼んでみたりする。そういう歌詞を見ても、最近はつい、『今の世の中で、女性をいきなり“おまえ”なんて呼ぶのはアウトなんじゃないか?』とか、『差別表現に当たらないだろうか?』とか、相変わらず『これ大丈夫かなお化け』がわずらわしい。もはや僕自身がお化けなんじゃないか? とさえ思えてしまう(笑)」 「現代社会は男女平等でも、歌の世界では『女だてらに~』とか、男女の違い、差異があるからこそ成り立つ物語がある。例えば『唇を奪う』『馬鹿な女の怨み節』『妻という字にゃ勝てやせぬ』とか、『あなたの膝に絡みつく子犬のように』などの表現を伴う恋物語にも、やっぱり僕はこれからもずっとこだわっていきたい。『昭和の遺物』と言われようと、人の気持ちの揺らぎや機微、大切な思いや恋心の構造というのは100年前も今も変わらない気がするんですよ」 桑田の中で歌はどのように生まれてくるのか。 「まずメロディー、歌の世界が浮かんで、それにあわせて全体のアレンジを進めていく。歌詞はそれをなるべく広く、意外性を持って聴いてもらうためにマネジメントしているような感覚というか。僕は天性の作詞家でもなければボブ・ディランみたいな吟遊詩人でもない。誤解を恐れずに言えば、クライアントやスタッフから依頼されてようやく『さあ、詞を書かなくちゃ』とエンジンがかかる。もはや『職業作家』そのものじゃないかな(笑)。求めてくれる人や聴いてくれるファンの皆さんがいてこその生業(なりわい)なんです」