「僕自身は空っぽの容れ物」――世の中の空気を歌に込め続ける桑田佳祐の今
昨今、SNS上ではしばしば「音楽で政治を歌うべきか」が取り沙汰される。 「若い人たちも歌いたいことがあればどんどん歌えばいいと思う。創作は自由なんだから。ただ、そこで『似合う』/『似合わない』ということが結構大事で。例えば(ビート)たけしさんは政治についてよく話すけど、(明石家)さんまちゃんはあまり話さない。お二人ともよくわきまえているから。芸風やキャラクターの『向き』/『不向き』もあると思うんです」 「『上手い』/『下手』もあるでしょうね。世相を斬ることに限らずだけど、例えば単に『消費税反対』と声を上げるだけでは、意図は伝わっても感動はしない。やっぱりディランの『風に吹かれて』はよくできているんですよ。いわゆる戦争に反対するプロテスト・ソングだけど、言葉の置き換えもしっかりしていて、ヴァースの終わりは〈答えは風に吹かれている〉と示唆的な表現で締められている。子どもの頃に、初めて和訳を読んだ時に、ものすごく感動したのを覚えています。自分でも『ROCK AND ROLL HERO』などは結構気に入っているけれど、付け焼き刃っぽくて底が浅いと言うか、後悔が残った曲もたくさんあるんです」 世の中を見つめるまなざしの原点は、旧満州からの引揚者だった父や祖父母から幼い頃に聞かされた戦争の体験談だった。 「頭の上を銃弾が飛び交うなんて、まるでSFファンタジーのような話も、『生きるためには仕方がなかった』といった耳を塞ぎたくなるような話もたくさん聞かされました。戦争には敵と味方がいて犠牲になる人がいる。そして相手にも自国にもいろんな立場と考えの人間がいる。真実は一つと言い切れるものではないし、史実よりももっとたくさんの事実が眠っているはずなんです」
がん闘病後、音楽活動を続けるうえでの難敵は
40年以上にわたる活動のなかで、歌の本質に気付かされたのが、2011年9月に宮城で行ったライブだったと振り返る。 「僕も前年に食道がんで活動を休止していたから病みあがりでね。会場となったアリーナは、震災直後、ご遺体の安置所だった。いざステージに立つと、あまり深刻な言葉が出てこない。『このたびはいろいろ大変でしたね』なんて言うのも変だし、そもそも苦手だし。でもいざ実際に『音を鳴らす』と空気が変わった。ステージが始まり、さとう宗幸さんの『青葉城恋唄』を歌った瞬間、会場の皆さんとつながることができたと思った」 「歌の語源とは『訴える』なのだと言うけれど、歌とはどんなにつらく悲しい状況でも人の心の奥底を温め、時間の経過とともに少なからず『求めてもらえる』『呼ばれる』ものなんでしょうね。災害に見舞われた場合も、差別や虐待といった苦境の中にいる場合でも。それこそが歌の正体というか本質なのだろうと感じます」 このライブが基点となって、その後も桑田はたびたび宮城を訪れている。コロナ以降初の有観客全国ツアーも宮城からスタートする。 「言わずもがな、東北の復興は道半ば。どんなお役に立てるかは分からないが、現役世代の音楽人として自分なりにやれる形で関わっていきたい」