無念だった福岡国際映画祭の終了…「30年分のつながりはどうなると?」“映画狂”が新たに始めた後継的企画
福岡市の秋の風物詩だった「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」は、見る機会の少ない近隣諸国・地域の映画に触れる貴重な機会でもあった。2020年の第30回で幕を閉じた直後、「30年分の積み上がった人と人のつながりはどうなると?」と奮起し、小規模ながら映画祭の後継的企画を始めたのが同市のプロデューサー三好剛平さん(41)だ。「映画を通じて出会いの場を作りたい」。静かな闘志を燃やす。 【写真】上映予定の清原惟監督作品のワンシーン 映画祭には最後の数年間、マーケット部門のディレクター業務に携わっていた。アジア各国から監督、プロデューサーなどの映画の作り手や、配給会社などの届け手を数十組招き、会場で商談や対話を重ねてもらう仕事である。 請け負う前は、映画製作は億単位で金が動く大きなビジネスの印象が強かった。福岡の映画祭に来るアジア各地の映画関係者はそうでない人が多かった。 あいさつに始まり、雑談を挟みながら、「気が合うな」「おまえとならやれそう」。そんな間合いで話がまとまっていく。自身も次第にお見合いの仲介者のような気持ちで仕事に取り組むようになった。 「学校のお楽しみ会を準備しているノリだった」 人間臭いやりとりで関係が築かれ、ゆくゆくは一つの作品へ。「これなら小さいサイズでも戦える」。そんな思いがあっただけに、映画祭終了は無念だった。 ◆ ◆ 1983年生まれ。映画への思いが芽生えたのは中学3年の時。初めて1人で福岡・天神の映画館に足を運んだ。ゆったりとしたシートに座り、見知らぬ人もいる暗がりで映画を見る。大人な雰囲気の空間を気に入った。 「実は見た作品は面白くなかった。でもチラシをさくさく持って帰って、気になる映画を見に行くのが習慣になった」 作品の公開情報をノートにまとめ、感想文も付けた。映画雑誌の映画評を読んで作品のいろいろな見方を知る。「これこれ、これが言いたかったっちゃん」。うまく言葉にできないことを見事に言語化した文章にも触れた。感想文では、そうした文章のまねをしながら語彙(ごい)を増やしていった。 受け売りの言葉で友達に面白い映画を薦めた。同じ作品を見た友達の感想も十人十色。SNSはまだない時代だった。 「映画狂」が周辺に知れ渡り、転機が訪れたのは社会人になってから。映画とは関係のないFMラジオ局で働いていたが、フリーペーパーにDVD作品のレビューを書く仕事が舞い込む。その後、映画への情熱などを買われ、映画祭の仕事を請け負うようになる。 ◆ ◆ 映画祭の終了は、独立を考えていた時期とほぼ重なった。2021年春、福岡を拠点に文化芸術にかかわる企画や制作、執筆などを行う会社「三声舎」を立ち上げた。前職のボスにこう言われたのが決断の契機だった。 「三好はさ、小さい声を応援したいんだと思うよ」 その年の秋には「映画祭の精神、資産を生かす」目的で、映画を通じた交流企画「Asian Film Joint」を始めた。 映画祭で学んだことは、すぐに果実は実らないということ。カルチャーの語源に「耕す」の意味があるように、自分は耕して種をまくだけ。何年もかかって実るのを待つ。 3回目となる今年の交流企画のテーマは「とるにたらない」。世界各地のさまざまな次元で「権力」が発動、強行されては、誰かにとって特別で大切だった事象が「とるにたらないもの」に追いやられているのでは? という時代認識が背景にはある。 「映画を見る体験を通して世界を見る目や、日常との関係の結び方に少しでも変化があるといい」 小さい声に耳をすまし、とるにたらないものに目をこらす。そんな人が増えることも、ささやかな変化と言えるだろう。三好さんが耕し、まいた種がどんな花を咲かせるかはまだ誰も知らない。 (内門博)