「そこら中に遺体が転がっていた」津波に飲まれて生還した写真家が行き着いた“ルール度外視”の防災マインド
「福島もそうですけど、大震災後、しばらく学校では震災の話をするのはタブーになっていました。理由は、子供たちがPTSDになるから。でも、子供たちは大人が思っているより頭を回転させているし、状況を把握しているんです。 地震大国で生きていく子供たちに”生きる術”を身につけてもらうためには、震災の話も、亡くなった人の話もしないといけないんです。 以前、富山県や石川県の学校で講演したとき、東日本大震災のことを話すと、子供たちは涙を流して『避難することの大切さ』を感じ取ってくれました。心に響いたことは子供同士でも話すし、家に帰っても話すんです。そうすると親子で防災の話もできますよね」。 高橋さんたちの活動が功を奏し、能登半島地震では子供たちが積極的に動き、被害も最小限に止まったという。
「防災訓練ではルールに従うということが重視されていますが、型通りの避難が必ずしも安全だとは限らない。東日本大震災では、避難所に逃げても津波で全員亡くなったケースもありました。いちばん大事なのは、命を守る行動を起こすこと。それを教えていくことこそ、防災なんだと思います」。 防災は、継続して話を聞くことで受け手の意識の中に刻まれていく。高橋さん曰く、「ラジオ体操のように防災が身に付く」のが理想なのだ。
◇ 「身近な人が犠牲になる前に危険を認識してほしい。逃げるに勝る防災はない」という高橋さんの言葉を改めてリマインドして日常を過ごしたい。 高橋智裕=写真 池田裕美=取材・文
OCEANS編集部