「そこら中に遺体が転がっていた」津波に飲まれて生還した写真家が行き着いた“ルール度外視”の防災マインド
経験のない人に危険を認識させるのが課題
取材活動の中心となったのは薄磯エリアの避難所だ。閉鎖までの90日間、毎日通ったという。 薄磯地区だけでも265世帯の家屋が流失し、122名の住民が犠牲になっている。被災し、身近な人を亡くした方たちと交流した高橋さんは、2つのことを感じたという。 「小学校の先生や子供たち、子供を亡くした親、親を亡くした子供など、色んな方のお話を聞きました。そこで感じたのは、“子供は強い”ということ。大人が思う以上に、子供たちはいろいろと考えているし、周りを見ている。 それはその後の防災活動で接していても感じたし、もしかしたら、大人よりも先に前を向いて、震災のその先を考えていた子は多いんじゃないかな」。
「もうひとつは、人は実際に経験してないことを“自分ごと”にはできないということ。私も地震が起きたとき、本当は逃げなきゃいけないのに、写真を撮ろうと海岸へ行って津波に飲まれた。死が迫って初めて『すぐに避難すること』がどれほど大切かを思い知りました。 同じように生き延びた人は、みんな逃げなかったことを後悔しています。当時、娘さんを亡くしたお父さんによくお話を聞かせてもらっていたけど、こういった辛い思いをする人をこれ以上出しちゃいけない。それをどう伝えるかが、当時からの課題です」。
防災はルールに従うことではなく「命を守る行動」
こうした悲劇を繰り返さないため、高橋さんは現在、防災アドバイザーとして学校教育や自治体を通じた防災活動もしている。「防災」といっても、彼が唱えるのは物質的な備えではない。 「備蓄や防災グッズなど、いくらハード面が充実していたとしても、メンタルの部分が変わらなければ意味がない。まずは、迫ってくる危険を正確に“危険”と判断できるようにならなければいけないんです。 そのためには、死を身近に感じて、生きるためにどう行動するかを常に意識することが大切。例えば、東北では大震災から5年くらいまで、津波警報が発令されたときの避難率がほぼ100%でした。それは3.11を経験して、死という身の危険を直に感じていたからです」。 逆に言えば、死を身近に感じなくなれば、また「逃げ遅れる人」が出てきて、悲劇が繰り返されるということだ。災害を経験し、後悔してからでは遅い。