高校卒業後に女子競技者が激減するのはなぜか? 女子Fリーグ・新井敦子が語る「Keep Playing」に必要な社会の変化
卒業後に訪れたターニングポイント。「スポーツをしていた方が圧倒的に人生が楽しくなる」
――新井さんが大学時代にプレーしていた早稲田大学のア式蹴球部女子部は、過去7度日本一に輝いた強豪校ですが、所属していた当時はどのようなことを目標にしていて、卒業後の進路についてはどのようにイメージしていたのでしょうか。 新井:大学時代はそもそも試合に出ることが難しかったので、卒業後にサッカーを競技として続けるイメージを持つことは当時の私には難しかったです。とにかく4年間をやり切ることしか考えていませんでした。チームの目標がインカレ(全日本大学女子サッカー選手権大会)で優勝して日本一になることだったので、そのために自分ができることを探して、毎日の練習に必死になっていました。 ――サッカーを続けるかどうかを考えた一番のターニングポイントはいつだったのでしょうか? 新井:まさに、高校卒業と大学卒業のタイミングで競技をやめようと思っていました。高校卒業の時は、たまたま希望の大学に合格でき、スポーツを続ける環境が得られたので継続しました。大学4年を修了したタイミングでは一度競技を離れたのですが、やはりスポーツをしていた方が圧倒的に人生が楽しくなると思い、再び始めました。 ――大学卒業後に転機になったことはありましたか? 新井:仕事の都合で2022年~2023年にアフリカのウガンダに住んでいたのですが、日本とはまったく違う生活環境に戸惑い、スポーツをすることに疑問を抱くことがありました。ウガンダではまずは日々の生活を整えることに精一杯で、スポーツをする余裕がまったくなかったんです。しかし、女性がスポーツをすること自体が珍しく、限られた一部の女性しかスポーツができなかったので、私がスポーツを楽しむ姿を見せることで「そういう生き方もあるのか」と思ってもらえたらと思い、スポーツの普及活動に取り組んでいました。
卒業後に訪れたターニングポイント。「スポーツをしていた方が圧倒的に人生が楽しくなる」
――新井さんが大学時代にプレーしていた早稲田大学のア式蹴球部女子部は、過去7度日本一に輝いた強豪校ですが、所属していた当時はどのようなことを目標にしていて、卒業後の進路についてはどのようにイメージしていたのでしょうか。 新井:大学時代はそもそも試合に出ることが難しかったので、卒業後にサッカーを競技として続けるイメージを持つことは当時の私には難しかったです。とにかく4年間をやり切ることしか考えていませんでした。チームの目標がインカレ(全日本大学女子サッカー選手権大会)で優勝して日本一になることだったので、そのために自分ができることを探して、毎日の練習に必死になっていました。 ――サッカーを続けるかどうかを考えた一番のターニングポイントはいつだったのでしょうか? 新井:まさに、高校卒業と大学卒業のタイミングで競技をやめようと思っていました。高校卒業の時は、たまたま希望の大学に合格でき、スポーツを続ける環境が得られたので継続しました。大学4年を修了したタイミングでは一度競技を離れたのですが、やはりスポーツをしていた方が圧倒的に人生が楽しくなると思い、再び始めました。 ――大学卒業後に転機になったことはありましたか? 新井:仕事の都合で2022年~2023年にアフリカのウガンダに住んでいたのですが、日本とはまったく違う生活環境に戸惑い、スポーツをすることに疑問を抱くことがありました。ウガンダではまずは日々の生活を整えることに精一杯で、スポーツをする余裕がまったくなかったんです。しかし、女性がスポーツをすること自体が珍しく、限られた一部の女性しかスポーツができなかったので、私がスポーツを楽しむ姿を見せることで「そういう生き方もあるのか」と思ってもらえたらと思い、スポーツの普及活動に取り組んでいました。