アメリカンドリームは成功せず! スーパーカーの夢を追い続けた「ベクター」の波瀾万丈
ランボルギーニのV12エンジンを手に入れて復活
1992年のジュネーヴショーで、まずはデザインスタディとして世界初公開されたアヴテックWX-3は、翌年の同ショーでは、ベクターの作としては初となるロードスターボディを与えた「アヴテックWX-3R」とともに、ベクターのブースを彩ることになる。 当初はシルバーにペイントされていたクーペは、ヴィーガートによって新たにティールブルーのボディカラーに塗り替えられていたが、これは彼が同時に所有していたジェットスキー会社、「アクアジェット」社のロゴとマッチさせ、宣伝材料としてそれを用いるための策だったとされる。 一方のロードスターには、これもまた鮮やかなパープルのボディカラーが与えられ、世界のスーパーカーファンはその存在に熱い視線を送ったのである。そして、この瞬間まではたしかに、アヴテックWX-3/WX3-Rは生産への道を歩んでいた。 だが、この華やかなスイスのモーターショーの開催中にカリフォルニアで進んでいたのは、当時ベクターモーターズの大株主であったインドネシアのメガテック社による敵対的買収計画だった。 結果的にベクターを解雇されることになったヴィーガートは、アヴテックの商標権とともにWX-3シリーズの設計権を獲得。メガテックによる生産を認めることはなかった。結果、WX-3はクーペとロードスターという2台のプロトタイプが製作されたのみで、そのプロジェクトは終了したのである。 一方、ベクターの名とその経営権を手中にしたメガテックは、WX-3に代わるモデルとして、当時やはり傘下に収めていたランボルギーニがディアブロに搭載していたV型12気筒エンジンを用いた「M12」を1995年に発表。こちらは18台がデリバリーされたものの、1999年には経営悪化のため、その生産は終了を余儀なくされた。 ベクター・モーターズはその後2006年には、再びヴィーガートによって復活を果たし2007年にはプロトタイプの「WX-8」が発表されるが、こちらも生産には至らなかった。 まさにさまざまな紆余曲折を経て、アメリカンスーパーカーという夢を追い続けたヴィーガートは2021年に死去。ベクターモーターズはその歴史に終止符を打ったのだ。
山崎元裕