「殺人犯にされてしまう」 藤田小女姫事件の「福迫雷太受刑者」がハワイで獄中死…仮拘束前日の「2時間の肉声」
次々と報じられた「疑わしい状況」
福追は地元の公立中学を卒業後、アンカレッジの高校に留学。ロサンゼルスの大学に進学したが、卒業しないまま、幾つかのビジネスを手掛けた。フリーターのような生活を経て、ロスで知り合った女性と一緒にハワイに移り住んだのが昨年7月。小女姫さんの自宅から徒歩15分ほどのコンドミニアム「ディスカバリーベイ」に住んでいた。 容疑者と目されたのは、ホノルル警察が部屋を捜索したところ、床に血痕が残っていて、血液型が吾郎さんのものと一致した上、絨毯が1メートル四方にわたって切り取られていたこと。家賃を滞納するなど金に困っていて、吾郎さんやダイバーズショップの店長に借金をしていたこと。事件当日のアリバイがなく、しかも「ディスカバリーベイ」の監視カメラに吾郎さんの車を運転する福迫の姿が映っていたこと。2日後の2月25日に質屋に宝石を持ち込み、換金後に航空券を購入、そのまま急いで帰国していること。カリフォルニア州で飲酒運転と銃の不法所持で逮捕歴があること等々、疑わしい状況が次々と報じられたからである。 「それでも大陪審が開かれるのは、血痕のDNA鑑定の結果が出てからだろうと見られていました。ところが、警察が鑑定を待つ一方でコンドミニアムの防犯カメラを念入りに調べたところ、そのうち地下駐車場に設置してあった1台に長椅子を運び込む福迫の姿が映っていた。そこで地下倉庫を調べると、その長椅子が見つかり、そこには血痕があったばかりか、小女姫さん殺害に使われたのと同じ弾丸がめり込んでいた。これが決定的だったようです」(現地事情通氏の話)
「最初から僕を犯人扱い」
「僕が最初に自分が疑われていると知ったのは、帰国後の3月3日のことでした。(中略)これは何とかしなくちゃいけないと、友人や親とも相談して、翌日さっそく、警視庁に出頭したんです」(注:最初に出頭した先は神奈川県警) 4月3日、午後6時過ぎから都内・西新宿のホテルでインタビューに応じた福迫雷太は時折表情を強張らせながらも、淡々とした調子でこう語った。 「ところが、その時にはすでハワイの捜査当局から連絡があったのでしょう。その日のうちに車に乗せられ、宿泊施設のあるホテルのような場所に行き、『今日は一泊してくれ』と言われて、そのまま泊まりました。その後、髪毛と指紋も欲しいと言われたので任意で提供しましたが、要するに警察の姿勢は最初から僕を犯人扱いしていたんです」 福迫によれば、事件を最初に聞いたのは日本に帰る前日の2月24日朝。吾郎さんが勤めるダイバーズショッブに電話をしたところ、店員から「吾郎くんのお母さんが亡くなって、未確認だが吾郎くん本人も亡くなったようだ」と告げられたという。