YMOチルドレンが描いた未来は今ここに 高野寛がデビュー35周年に発表した自身の作品について語る
アコースティックギターにマイクを付け、自作のエレキギターを作った少年時代からはじまり、YMOとの出会いをきっかけに音楽にのめり込んだ思春期、高橋幸宏主宰のオーディションによって掴んだデビュー、トッド・ラングレンのプロデュースによるアメリカでのアルバム制作。これまでのキャリアを綴った本作は、「え、そんなことがあったの?」と音楽ファンなら誰でも驚く逸話が並んでいる。 たとえば、1994年に坂本龍一のワールドツアーにギタリストとして参加したときのエピソード。坂本は当時、アルバム「Sweet Revenge」に伴うツアーを準備していた。ところが予定していたブラジル人のギタリストがトラブルで来日できなくなってしまい、交流があった高野に白羽の矢が立ったのだ。しかし、高野が所属していたレコード会社のスタッフは猛反対。シングル(「夢の中で会えるでしょう」)のリリースを控えたアーティストが、いかに坂本龍一のツアーとは言え、バックバンドのギタリストとしてステージに立つのはありえないというわけだ。そんななか、高野の背中を押したのは「ワールドツアーなんて滅多に経験できないことだし、教授(坂本龍一さんの愛称)と一緒に演奏できるなんて、本当に凄いことだよ。絶対にやった方がいいよ」という高橋幸宏の助言だった。 「デビューしてからずっと周りに言われることを受け止めながらやってきたし、無茶な提案をするタイプではなかったので、スタッフはビックリしたでしょうね。今となってはアーティストが他の人のサポートをするのは当たり前ですけど、当時はあり得なかったので。もちろん素晴らしい経験になったし、やってよかったと思っています。“戦メリ”(坂本龍一の代表曲「Merry Christmas Mr. Lawrence」/映画「戦場のメリークリスマス」テーマ曲」)のイントロをギターで弾くことになったときは震えましたけどね。執筆しているときも緊張感が蘇ってきました」 そのほかにも、GANGA ZUMBA(THE BOOMの宮沢和史を中心としたバンド)への参加、プロデューサーとしての活動など、自らの活動を奔放に広げてきた高野寛は、まさに時代を先取りしてきたアーティストと言えるだろう。それはおそらく、ジャンルやシーンに属することができない孤独と隣り合わせだったはずだ。