王様ペレ負傷で「ルール改正」、釜本邦茂と「フル活用」で五輪メダル【意外と知らない「サッカーの選手交代」起源と進化と現在地】(4)
■初の戦術的な交代は「西ドイツ」名将
1970年のワールドカップ・メキシコ大会では、西ドイツが交代を利用して画期的な戦いを見せた。多くのチームが交代を疲労の色の濃い選手や負傷者のために使ったのに対し、西ドイツのシェーン監督は初めて戦術的に交代を使うという手法を見せたのだ。 シェーン監督は、この大会のためにウイングでプレーできる選手を4人用意した。ジギ・ヘルト、ラインハルト・リブダ、ヨハネス・レール、そしてユルゲン・グラボウスキーである。どの選手も所属クラブではセンターフォワードなどをこなしていたが、ドリブル突破を得意としていた。この4人を、シェーン監督は交代を交えながら自在に使って、相手守備を切り崩したのだ。 なかでもグラボウスキーは、後半のなかば近くになって投入されることが多く、そのドリブルで相手を追い詰めた。彼は右でも左でも同じようにプレーができ、相手のサイドバックの能力や疲れ具合などを見ながら、シェーンはグラボウスキーを投入、相手の守備を突き崩した。交代選手の戦術的利用の有用性を示し、その後の世界のサッカーに大きな影響を与えたのが、シェーン監督だった。
■アメリカW杯イヤーの改正に「抜け道」
その後、四半世紀、交代枠は「2人」に固定されていた。終盤の負傷に備えて1枠は取っておかなければならないから、戦術的な交代が使えない場合も多かった。早めに2人の枠を使ってしまったら、GKを狙われる、イエローカード覚悟で反則を仕掛けられるという恐れが十分あったのだ。 1994年、アメリカで開催されるワールドカップの年のIFABは、「2+1」という交代に関する新ルールを決めた。従来の2人に加え、GKに限り、3人目の交代を許すというのである。これによって、2人の交代をより戦術的に使えるのではないかという狙いだった。しかし、これは馬鹿げた改正だった。 ルールでは、主審に報告しさえすれば、GKとフィールドプレーヤーはいつでも入れ替わることができる(もちろん、ウェアは着替えなくてはならないが)。GKはまずフィールドプレーヤーとなり、その後GKとなった選手が他の選手と交代。この時点でGKと入れ替われば、実質的に3人のフィールドプレーヤーの交代ができるようになる。さすがのIFABもこの「抜け道」にすぐに気づき、翌1995年のルール改正で、ポジションに関係なく、1試合3人までの交代ができるようにした。 その「交代3人制」が、また四半世紀後、コロナ禍という人類の誰も想像もつかなかった要因で「5人制」となり、恒久化されることで、サッカーは大きく変化した。 たかが交代、されど交代。「交代5人制」によって、これまでよりも数十倍に広がった「戦術的な可能性」の海の真っただ中で、監督たちはホワイトボードを中心にしてコーチたちと頭を寄せ合い、「最善の解」を求めて知恵を絞っているのである。
大住良之