一神教のGodが人間を「創造した」のなら、Godにとって人間は、モノみたいなものだ
日本人が指す「神様」と「God」は違うようだ。もし人間を「創造した」のがGodなら、Godにとって人間は、モノみたいなものと言えるのかもしれない。 「日本の宗教は何?」と海外の人に聞かれたとき、仏教と神道の関係を説明できる? その起源であるユダヤ教に触れながら、社会学者の大澤真幸と橋爪大三郎が、対話形式でキリスト教を紐解く。 ※本記事は『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎、大澤真幸)の抜粋です。
怖い「God」と付き合うのは、身の安全のため
──橋爪 「創造する」って、どういうことか。わかりやすいのは、モノです。モノは、つくることができて、壊すこともできる。所有したり処分したり、好きにできる。モノは、つくったひとのもの。つくったひとの所有物なんです。 Godが人間を「創造した」のなら、Godにとって人間は、モノみたいなもの。所有物なんです。つくったGodは「主人」で、つくられた人間は「奴隷」です。 人間を支配する主人が、一神教の「God」なんですね。(日本語で「神」というと、どうしてもなれなれしいニュアンスがまぎれ込んでしまうので、以下、一神教の神をさすことをはっきりさせたい場合には、なるべく「God」ということにします。) Godは、人間と、血のつながりがない。全知全能で絶対的な存在。これって、エイリアンみたいだと思う。だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えているかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。Godは地球もつくったぐらいだから、地球外生命体でしょ? 結論は、Godは怖い、です。怒られて、滅ぼされてしまっても当然なんです。 ──大澤 橋爪さんらしい明快で、ユーモアのあふれる説明ですね。 お聞きしながら、昔、丸山眞男が書いていたことを思い出しました。丸山は、宇宙の起源を説明する論理は三つある、と述べています。一方の極に、神が宇宙を創造する、という論理がある。旧約聖書は、このヴァージョンです。他方の極には、宇宙は植物のように生成する、という論理がある。 丸山は、古事記等の神話から、日本はこのヴァージョンに入ると言っている。日本の神の名前についている「ムスヒ」の「ムス」は、「苔ムス」の「ムス」で、自然と生えてくるという意味ですね。この両極の中間に、神が宇宙を産む、出産するという説明がある。この丸山の類型でも、日本とユダヤ・キリスト教は反対の極にあります。 ともあれ、宇宙と人間を「創造した」Godが、人間にとってはエイリアン、地球外生命体のようなものであるなら、そんな怖いGodといかに付き合うかが一神教の重大なテーマになりますね? ──橋爪 はい。順番に考えていきましょう。一番目に、Godは何を考えているか。これは、大事な点だが、預言者に教えてもらいます。 二番目に、Godが考えているとおりに行動する。そうやって、身の安全をはかる。 Godを信じるのは、安全保障のためなんです。Godが素晴らしいことを言っているから信じるんじゃなくて、自分たちの安全のために信じる。Godが考えているとおりに行動するには、預言者の言葉が手がかりになる。それが、Godとの「契約」になります。 この「契約」の考え方は、わかりにくい。ま、「条約」だと思ってください。ユダヤ民族が、Godと「契約」を結ぶのは、Godに守ってくださいと頼むことなんだけど、これは日米安保条約の感覚に近い。安保条約は日本がアメリカに、「守ってください」と条約を結んでいるでしょう? 同じなんです。 だから、Godと付き合うには、なれなれしくしたらダメなんですね。まかり間違っても、Godと対等だなんて思ってはいけない。いつもへりくだって、礼儀正しくする。自分はGodにつくられた価値のない存在です、としおらしくしているのが正しい。これが、Godと人間の関係の、基本の基本です。 でもこれでは、いかにもよそよそしい。そのよそよそしい関係を打ち砕こうと、イエス・キリストは「愛」をのべて、大転換が起こるんです。それまでは、こういう厳しくてよそよそしい関係が、基本だったと理解しておかなければならない。(続く) レビューを確認する 第3回では、キリスト教が広まる以前のユダヤ教の成り立ちについて解説する。ユダヤ教おける唯一絶対の神であるヤハウェはかつて、破壊や怒り、戦争の神として崇められていた。
Daisaburo Hashizume and Masachi Osawa