「早大合格も入学辞退」国民的美少女の林丹丹が18歳で退路を断って芸能界へ進んだ理由と「大黒柱だった母の姿」
2006年の国民的美少女コンテストでグランプリを獲得し、デビューした林丹丹さん。3か国語を操り、将来は語学力を活かした仕事に就こうと考えていた林さんが、芸能界に飛び込んだ理由とは。(全3回中の1回) 【画像】「国民的美少女は健在!」透明感溢れる林丹丹さんの写真集「これで2児の母とは!」(全10枚)
■ひとり暮らしのような毎日に飽き飽きしていた思春期 ── 日本語と英語、中国語を話せるそうですが、語学はどこで学んだのですか? 林丹丹さん:母が中国人なので、実家では中国語を使っていたんです。英語は小さなころから習い事として学んでいて、気づけば語学を学ぶ楽しさにのめり込んでいました。
中学生になると「将来は語学力を活かした仕事をしたい」と考えるようになり、国際科のある高校を目指して猛勉強した結果、当時は日常会話レベルの英語は話せるようになっていました。 ── ご実家は教育熱心だったのでしょうか? 林さん:母方の祖父が大学教授だったこともあり、母もどちらかというと教育熱心だったと思います。ただ、実家は母子家庭だったので母は仕事で忙しく、私に構う時間はほとんどありませんでした。いくつも習い事なんてできないなか、母が「やったほうがいい」と習わせてくれたのが、ピアノと英語だったんです。
── お母さまが女手ひとつで育ててくださったんですね。 林さん:母は毎朝6時には出かけて、21時過ぎまで働いていました。そんな母を少しでも助けたくて、小学校高学年くらいになると身の回りのことはすべて自分でするようになっていました。 朝起きたらひとりで支度して学校に行き、下校したら宿題をして、夕飯を温めて食べる。中学生になると、夕飯後は塾に行き、帰ってきたらお風呂に入って寝て、また朝を迎える。ひとりっ子だったので、家の中はいつもシーンと静まりかえっていて、まるでひとり暮らしをしているようでした。
その後、念願叶って志望校に合格しましたが、ひとり暮らしのような毎日は変わりませんでした。そんなとき、国民的美少女コンテストの広告を見かけて「やってみたい!」と思ったんです。