【解説】皇室の本葬“斂葬の儀”に両陛下が参列されない理由 百合子さまの副葬品には「漢字パズル」や「お子さまの乳歯」も
100歳でも知的好奇心が旺盛
木村拓也キャスター: 百合子さまは、昭和天皇の弟である三笠宮さまと結婚され、上皇さまの叔母にあたります。「ひげの殿下」としても親しまれた三笠宮寬仁さまのお母様としても知られております。 青井キャスター: ーー記録で確認できる皇族としては最高齢の101歳ですけれども、どんな方でいらっしゃいますか? 宮崎宮内庁キャップ: 三笠宮さまと75年間連れ添われたんですけれども、公務・家庭・研究とも、あらゆる面で支えられて、本当に仲がむつまじくて、同じお墓にお入りになるというのも生前の希望で、それに沿って26日に埋葬されました。 戦争でお住まいが空襲で全焼して防空壕(ごう)で生活されたり、経済的にもとても苦労なさっています。お子様が5人いらっしゃって、そのうち男のお子様3人がいずれも早く亡くなられて、3人の息子に先立たれるという本当に深い悲しみを経験されても、いつも穏やかに冷静に受け止めて、誰に対しても優しい方で、家族の本当に精神的な柱でいらしたというふうに聞いています。 木村キャスター: 一連の儀式は、16日の一般の納棺にあたる「御舟入(おふないり)」から始まり、24日に棺を客間へと移す「正寝移柩(せいしんいきゅう)の儀」、25日に御霊を権舎に移す「霊代安置(れいだいあんち)の儀」やお通夜が行われました。26日には本葬にあたる「斂葬の儀」が執り行われ、10人の皇族方や石破首相、駐日大使など約500人が参列しました。喪主を務められた孫の彬子さまは、気丈に振る舞われながらも涙をぬぐわれる姿も印象的でした。 宮崎宮内庁キャップ: 百合子さまのことを彬子さまは尊敬して大切に思っていらっしゃったので、喪主として気丈に振る舞ってはいらっしゃったんですけれども、やはり悲しみがあふれ出す部分があったのではないかと思います。 木村キャスター: 本葬を終えまして、お墓にはさまざまな大切なものがあるということでして、例えばご家族の写真やお子さま方の乳歯、お母さまの手縫いの着物、百合子さまが愛好されていた漢字パズルなどが副葬品として納められました。 宮崎宮内庁キャップ: 知的好奇心がすごく旺盛で、100歳になっても漢字の勉強を続けてらっしゃったんです。そういう好きだったものを、ご家族で一つ一つ丁寧に選ばれたんだと思いますし、また家族思いでいらっしゃったので、5人いらしたお子様の乳歯を大切にとってあって、それも一緒にお墓に納められたと。 青井キャスター: ーー今後の儀式は、どのようなスケジュールでしょうか? 木村キャスター: 29日に一般の拝礼が受け付けられます。また、亡くなられてから30日、50日、100日、1年など節目ごとに儀式が行われる予定です。 宮崎宮内庁キャップ: 喪主の彬子さまは、30日間喪に服され、その後公務に復帰しながら節目の儀式に臨まれます。 (「イット!」11月27日放送より)
イット!