大阪「売れても占い商店街」お金かけず黒字にできた理由
大阪には様々な商店街がある。中には空き店舗の目立つ商店街もあるが、一方で、見事に成功して“再生”しているところもある。そんなひとつが「売れても占い商店街」。奇妙なコピーが目を引く「福島聖天通商店街」(大阪市福島区)だ。JR福島駅の北側に位置し、通りの各所に赤い「占」ののぼりがはためく。ここは日本で初めて占いに特化した商店街で、とくに「占いデー」(第4金曜日)には20人~30人もの占い師が屋台さながらに街路に出店し、大勢のファンで賑わうという。関係者は「今、年間6000人~7000人が訪れていますし、商店街は黒字ですよ」と相好を崩す。なぜ福島に占い商店街が誕生したのか。そんな珍しいエリアに足を運んでみた。
聖天さんに続く参道 占い師ゆかりの地
アーケードのない同商店街は約330メートル。飲食店やカフェなど60数軒が並び、その店先のあちこちに占い師が座り、相談者を鑑定している。手相、人相、タロット、姓名判断など占術もさまざまだが、確かに珍しい光景だろう。 商店街振興組合理事長の草野則一さんによれば、ここは「聖天さんに続く参道です」という。聖天さんとは真言宗の寺院・聖天了徳院のこと。江戸時代に全国に弟子3000人を擁した観相学の大家で知られる水野南北が放蕩無頼だった青年時代、了徳院院主に諭されて一念発起したという占い師ゆかりの地だ。 戦前は、心斎橋筋、九条新道、十丁目筋(天神橋筋)と並ぶ大阪の四大商店街とも呼ばれた。だが、1990年以降、通りに空き店舗や空き地がポツポツ出現して、特色もなかったことから次第に廃れ始めたという。
きっかけは喫茶店マスターの申し出
さて、そんな時、救世主が現れた。といっても、最初は冷ややかな目で見られ、誰も期待していなかった。20年ほど前の話になるが、夏のイベントで女装した喫茶店主が占いを1回500円で始め、それが大受けしたという。すっかり忘れていた南北も持ち出し、「占い商店街」の構想が膨らんだ。それが今につながっているのだが、いったい何が起こったのか。草野さんにその当時の経緯を聞いてみた。 「もう20年も前です。この商店街の喫茶店のマスターが占いの勉強をしてて、家族とか友達を占ってた。商店街で夜店があるんやけど、金魚すくいとか焼きそばとかの夜店ですが、それで、喫茶店のマスターから『(占いを)出店したいのでやらせて欲しい』って申し出があった。断るのもなんやから、まあやってみいな、ということで。最初は素人マスターやし、どっちみち、あんなんあかんで、ってみんな言ってた。ところが、蓋を開けてみたら、すごい人で。見料も500円で安かったし、マスターは食事もできず、トイレにも行く間もなく、お客さんがずらっと並んだ。私たちは目からウロコで。その日は商店街の出店でいちばんの集客でした。それで、その成功で、プロの占い師をたくさん呼ぼうとなったんです。ところが、あちこち(占い師の協会など)に声をかけたけど、ギャラの問題で頓挫。金のない商店街やったし、最終的には占い師が来てくれなかったんです」