いまから120年前、クリスマスはなぜ「世間が浮き立つ楽しげなイベント」になったのか
楽しげに過ごし続けて120年
その気分が基本にあって、だからこそ、クリスマスだけは特化して受け入れられていく。 本当は西洋列強と深くつきあいたくなかったのだが、そうも言っておられず、下手に交渉したアジア諸国が植民地化されるという現実を見ていると、取り入れられるところは取り入れるというのが国是となる。 キリスト教という宗教は取り入れないが、クリスマスは取り入れてもいい、ということになった。取り決めではなく、多くの人がアイコンタクトだけで、わかった、と同意して進んでいった感じである。 クリスマスだけが特化して異様に盛り上がる。 特にロシアとの戦争して、ぎりぎり負けなかったあとから、盛んになる。明治30年代後半のことである。 それ以降、戦争で大変だったときをのぞき、今に到るまで楽しげなクリスマスイベントは盛んに開かれていた。信者ではないからこそ、クリスマスだけは盛んに楽しげに過ごすというのは、日本列島の民にとって、国民的課題になってしまったようだ。 それがもう120年続いている。 そして根本的な意味がなく消費することだけが大事なイベントであるから、つまり積み重ねがない。毎年やっているが一回性しか持っていない。 なので、こういうことを120年やっているという意識がない。そしてそんなに長く続いていることに何も興味がない。 それがこのイベントの現在性である。 いまさえよければいい。そういう扱いにしている。 2024年は2024年のクリスマスのことしか考えてない。 さすがに2023年や2022年のクリスマスのことは覚えているだろうが、ぽんと飛んで、1923年のクリスマスについては、何も知らない。そもそも知る必要があるとはおもっていない。ちなみに1923年は大正12年で、9月1日に関東で大震災が起こり、まだそこから3か月しか経ってないのだが、帝国ホテルではクリスマス午餐会が開かれ、ダンスパーティが大盛況だったと朝日新聞に書かれている。いまだとちょっとありえないだろう。 あらためてクリスマスの持つ「強い強い現在性」には少し驚く。