いまから120年前、クリスマスはなぜ「世間が浮き立つ楽しげなイベント」になったのか
関係のうすいおじさんの誕生日に感じる戸惑い
クリスマスはつまりもともと、強い宗教的信念を持って過ごさなくてもいい日だったということになる。信仰していない人にキリスト教に興味を持ってもらうため、宗教色を薄くして、楽しいことをやっている日ともなった。 だからクリスマスが強く持っている特性が「現在性」になったのだとおもわれる。 いま、この日が大事だ、というのが現在性だ。 過去についてはいちいち振り返るわけではない。それがクリスマスである。 キリストさんのお誕生日というのを理由に、楽しいことをすればいい、というきっかけにするだけの日である。楽しいこと、は現在にしか存在しない。 そもそも、深く関係していない人の誕生日というのは、大人になったら対処のしようがわからない。関係のうすいおじさんに、今日おれの誕生日なんだ、と言われたときというのは、会社員のどうしていいかわからないあるある、のひとつだろう。 日常生活を共有していない他人の誕生日は、大人になったら意味がない。 さらに死んだ人の誕生日も意味がない。もうずいぶん前に死んじゃった人の誕生日をお祝いするといわれても、大人として付き合うばかりで、本質的には意味を感じない。 それでも日本では、クリスマスにはイベントが行われる。 そしてこの「宗教色のない楽しいイベント」が日本で盛んになって、もうずいぶんと時間が経つ。 世間が浮き立つイベントとなったのは明治期の後半からである。
江戸時代の「凄まじい統制」
徳川期は、ご存知のように、我が国ではキリスト教信仰は厳しく禁じられていた。 16世紀末に羽柴秀吉が伴天連追放令を出して以来、取り締まりが厳しくなり、徳川時代はずっと「キリスト教を信じているなら、死刑」という時代が続いた。 凄まじい統制である。 17世紀から18世紀にかけては「日本人であるかぎりは何があっても絶対にキリスト教を信じていない」という時代が続いたのだ。 隠れキリシタン(潜伏キリシタン)というのは存在したが、隠れてるかぎりはつまりその信教は隠していたわけで、布教などもいっさいせずに、ただ静かに隠れてときどき拝んでいたばかりで、隠れキリシタンは同時に(信仰を隠すためには表面上は)仏教信者であった。 この時代、キリストの教えを口にする人は日本国にはおらず、それは信者はいなかったと言って差し支えないだろう。 御一新で徳川家が倒れ、明治新政府ができたのだが、新政府は引き続きキリスト教信仰は禁止しつづけていた。 「浦上四番崩れ」として知られる幕末に始まった信者弾圧は明治になってもそのまま引き継がれている。 そもそも宗教に関して、徳川政府より明治政府のようがキリスト教を邪宗として扱う気持ちが強かったようにおもえる。 明治政府は、仏教さえ日本古来の宗教ではないということで排除しようとしたくらいだから(廃仏毀釈)、もともと邪教とされているキリスト教なぞ、さらに徹底的に排除したい気持ちだったとおもわれる。 その後も政府としては公式に一度も「キリスト教を信仰してもよい」とは声明しない。ずっと「西洋人がいっぱい国内に入ってきたからこやつらの信仰を禁止するわけにはいかないが、日本人はとにかく極力信仰しないでもらいたい、ということくらいいちいち言わないけどわかっておいてもらいたい」という気分が漂っていたようにおもう。 昭和二十年に米英支ソ四カ国に無条件降伏するまで、心情的にはずっとキリスト教は本当は禁止したい、という気分が国の中心にあったようにおもう。