「僕なんかはただのミーアキャットですから」――MCへ「化けた」、東野幸治の程よい距離感
「450円もくれんねや」
東野が笑いの世界に足を踏み入れたきっかけ は、高校時代に友人に誘われ出かけたお笑いイベント。そこで、若手芸人向けの新しい劇場ができることを知る。観客にはボールペンが配られ、「今度劇場ができるから、ネタを作ってオーディション受けに来たら?」と声をかけられた。 芸人になるつもりはなかったが、軽い気持ちで新しい劇場に通い始める。その劇場こそが、のちにダウンタウンなど多数の若手芸人を輩出する心斎橋筋2丁目劇場だった。東野は月2回ネタ見せに行き、ライブにもたまに出るようになる。最初に出演料として450円が支払われたとき、高校生の東野は素朴に驚いた。 「450円もくれんねや、って。あの常勝軍団の吉本興業が(明石家)さんまさんや(島田)紳助さんと同じ経理を通して、ちゃんと明細まで作って僕に給料くれるんや、って。もともとお金をもらおうっていう発想がなかったから嬉しかったです。その頃は自分がお笑いをできるなんて思ってないし、ずっと続けていくとか、東京に行くなんていう発想は全然なかったです」 2丁目劇場でダウンタウンに出会い、彼らの出世作となった伝説の大阪ローカル番組『4時ですよ~だ!』に出演。ダウンタウンが大阪で徐々に売れっ子になっていく過程を目の前で見てきた。その後、ダウンタウンが東京進出を果たすと、東野も今田耕司らと共に『ダウンタウンのごっつええ感じ』などに出演するようになった。 「ダウンタウンさんがスターになっていく間、面倒なことは全部上の人がやってくれるし、守られていたから、僕らはせっせと目の前のバラエティ番組を楽しくやったらええ、面白くやってたらええ、っていう感じでした」
お金がないからみんなイライラする
『ごっつええ感じ』が終わると、東野はダウンタウンの傘の下から離れて、東京のバラエティ番組で武者修行を繰り返した。『笑っていいとも!』では、今までダウンタウンの番組で見てきたコアなお笑いファンとは全く違う、平日の昼の客層に驚いた。華やかな文化祭のような雰囲気の現場だった。『行列のできる法律相談所』では、昔から憧れていた島田紳助の司会術を間近で見届ける機会を得た。ここの観客の雰囲気は『笑っていいとも!』ともまた違っていた。 「『行列』のお客さんは若い人もおっちゃんおばちゃんもいて、テレビを見ているお茶の間そのままの感じでした。ダウンタウンさんとか我々のやっている番組のお客さんやったら、10のうちの10で下ネタ言っても笑うけど、『行列』のお客さんは笑わへんし。こんなひどい目にあったっていう話をするときのひどさ加減も、番組の客層によって笑うところが違うんやな、とか勉強になりましたね」 幅広いジャンルの番組に出演して、その場その場で臨機応変に対応していくうちに、徐々にMCの仕事が増える。かつては『ごっつええ感じ』の企画で女性アイドルにプロレス技をかけたりして暴れ回っていたが、いつの間にか芸人としてのトゲも抜けて、すっかり丸くなっていた。その変化の理由を問うと「お金ですよね」とドライな東野らしい答えが返ってきた。 「若手のときにとんがってた人が歳取ったら丸くなるのって、もらってるお金やと思うんです。お金がないからみんなイライラするんです。だから分かりやすいっちゃ分かりやすいですよ。金銭的な余裕が人を丸く丸く磨いてくれるんじゃないですか」 東野は自著『この素晴らしき世界』(新潮社)で自分を「凡人」だと言い切っている 「それは本心です。僕なんてタレントという職業に魂売ってるんで、ちゃんと真正面からお笑いに対して向き合ったりしていないですからね。ほかの芸人が時にはスベったりしながら戦っている様が愛おしかったり、格好良かったりする。いい感じに時代に取り残されているのもまた素敵だな、って。そういう人にがんばってほしいし、報われてほしいなって純粋に思うんです。そこに嘘はないです」