誹謗中傷報道に苦しみ裁判で勝訴ーー中島知子が語る「別府移住で笑顔を取り戻すまで」
“毒親”との確執に幼少期から悩んできた
真実とは異なるストーリーが突如作り出され、拡散していくさまは恐怖でしかなかった。中島さんが“毒親”と表現する家族との関係性も、話を更に複雑にした。 「父には幼少期から脅しや体罰を受け、実家を逃げ出しては何度も連れ戻されてきました。お世話になった警察官に『あんな家、早く出てしまいなさい』と助言されたこともあります。当時は両親に毎月40万円を仕送りしており、ニートの妹夫妻も養うようになりました。妹を当時の交際相手に会わせた後、何が気に入らなかったのか、私の稼いだお金が交際相手に流れているなどと、ありもしない言いがかりをつけられたこともありました」 「このままでは贈与税がかかるかもしれないと当時の税理士さんに言われ、家族への金銭的な援助をすべて打ち切りました。それを機に、自立してほしくて妹への援助もやめたところ、妹は『お姉ちゃんは誰かに影響されて変わった』と両親に訴えはじめました。そこに私の独立問題が重なったのです」 騒動直後、家族の求めに応じ中島さんは裁判所へと赴いた。「洗脳されている」と責めたてる相手方の弁護士に「事務所や家族とのトラブル」であることを冷静に説明すると、裁判官は「中島さんは何も問題がないように見受けられます。いったい何について論じあっているのですか?」と困惑し、裁判自体が停止となった。家族らに無理やり精神科病院に入院させられたこともあるという。医師からは「問題なし」と診断されたが、両親の許可が下りず、約2カ月間退院できなかった。「いま考えると人権侵害ですが、当時は怖くて何も言えなかったです」と振り返る。 「母はある日、『妹の言うことは間違いだったのかもしれない。申し訳なかった』と謝ってきました。その事実を公表してほしいと頼みましたが『こちらが悪者になりたくない』と、母は口を閉ざしてしまった」 弘中弁護士は職務上、これまでに毒親との縁をいくつも切ってきた。円満な家庭に育った者には想像しづらいことだが、世の中には“子どもを平気で金づる扱いする親”も存在するのだという。 「家族とはいえこれ以上営業妨害をするなら法的措置をとると、私の家族に対して警告文を送っていただきました」(中島さん)