誹謗中傷報道に苦しみ裁判で勝訴ーー中島知子が語る「別府移住で笑顔を取り戻すまで」
事務所からの独立問題。気づけば虚偽報道の渦の中へ
事務所からの独立問題は泥沼化し、一連のバッシング報道へと発展した。 「もともと私はピン(一人)でタレントや俳優業に挑戦したかったんです。でも当時は漫才ブーム。女性芸人を育成する事務所の方針のもと、お試しで元相方とコンビを組むことになりました。1週間後、『ごめん、やっぱりちょっと無理やから解散してほしい』と元相方に伝えたけど、うやむやに。デビュー後も一人で勝負したい思いは強まり、元相方と足並みがなかなかそろわなかったこともあって事務所に解散を相談したところ、『どうしても解散するなら、うちを辞めてもらえますか』という流れになりました。いざ独立しようとしたら反対され、当時の慣例で事務所とは契約書を結んでいなかったから辞め方が分からず、話が余計にこじれてしまったんです」 そんなさなかの2007年、“元相方”が先に独立する。 「まさかの展開。しかもコンビの仕事は続けると。私のほうが先に独立交渉してたはずやのに……事前相談もなく勝手に決まったことに疑問を感じました」 中島さんは告白を続ける。 「独立交渉中には、もしオセロを解散して独立するんだったら『中島に何か問題があるように見えてしまうよ』と言われたこともあり、一回レギュラー番組もすべてやめることになりました。給料が急にストップしてしまって、高額なマンションに住んでいたから家賃を支払えなくなりました。家賃を滞納し、ご迷惑をかけた方々には大変申し訳なく思っています」 一晩にして広がった自身のニュース。事務所からの独立の話題かと思えば、「友達Aさんに洗脳された」という衝撃の内容だった。 Aさんはもともと雑誌の編集者であり、現在は作家として書籍や脚本の執筆活動を続けている。同世代の二人は20代前半にプライベートで出会い、意気投合した。 Aさんの弁護も担当する弘中弁護士は、「二人は気の合う友人であり、ビジネス上とてもうまくいっていた仕事仲間。一般人にもかかわらず、騒動に巻き込まれてしまったAさんが、一番の被害者かもしれません」と語る。AさんはMCとして引っ張りだこだった中島さんのトークのネタなども一緒に考えていた。芸人と構成作家の息の合ったコンビネーションは、芸能界では何ら珍しいものではないだろう。 「もし彼女がフリーランスでなくどこかの大きな事務所に所属していれば、あんなに過酷なバッシングを受け続けることはなかったのではないでしょうか」と中島さん。現在はAさんとともに個人事務所を運営。知人などを通じてオファーが舞い込み、休みなしの状況だという。