「ここは以前、殺人があった部屋でして」聞いたら知る前の気持ちには戻れない…事故物件に「住みたくない」と思ってしまうワケ
自分に関係ない殺人や事故のことが気になるのはなぜ?
このガイドラインを読むと、心理的瑕疵とされる事故物件の「心理的」の部分がいずれもプロジェクションによるものであることに気づかされます。事故物件の部屋はきれいにリフォームされているはずですから、見たところではもちろん殺人や事故の痕跡など跡形もなく、説明されなければまったくわかりません。けれど、一度でも事情を知ってしまったら、もう知る前の気持ちには戻れないのです。 動物がある場所や物を回避するばあいは、それがその動物にとって危険であるからです。ところが事故物件のばあい、自分はそこでの事故や事件にはまったく関係ないのですから、物理的にはもちろん、人間関係的にも事故物件を回避する理由はありません。しかし、ふだんは幽霊や死者の怨念などを信じていなくても、「悲惨な死に方」をした人が最後にいた場所で、毎日暮らしていくのはなんだか嫌なのです。そこには、うまく説明はできないながら、悲惨な死への漠然とした忌避感がプロジェクションされています。 この部屋に住んでいたら、なにか不可解な現象が起こって怖い目にあうのではないか、死者の霊が見えてしまうのではないか、自分のこころや身体になにか不調が起こるのではないか、考えだしたらキリがありません。それはなんの根拠もなく、合理的な説明でもなく、そんな経験をこれまでにしたわけでもないのですが、場所と事情を起点にして私たちの想像力は無限に広がっていきます。 プロジェクションは表象と対象が必要なこころの働きですから、事故物件という場所(対象)と悲惨な死という事情(表象)がそろったことで、止めようとしても自動的にプロジェクションがなされてしまい、悲惨な死への漠然とした忌避感がさまざまな具体例として顕在化したといえるでしょう。 悲惨な死への漠然とした忌避感や恐れが事故物件という部屋と結びついたなら、死者の生命感(これは大いなる矛盾であり、非合理的だからこそ不気味なのですが)を事故物件の部屋で感じてしまうともいえます。 部屋にまつわる事情を知ったことで、ドアがうまく閉まらないとか湿気がたまってカビ臭いなど、住居としての物理的な不具合について、「もしかしたら死者の怨念が…?」というアブダクション(編注:説明のつかない問題について、仮説を立てて考えることで新たな結論を導きだす推論法)で推論することによって、部屋に霊の存在をプロジェクションしてしまうのです。 ふだんは霊など信じていないような人でも、事故物件となるとあまり気持ちが良いものではないと思うのも無理はありません。私たちは案外、ちょっとした情報ひとつから、手軽に幽霊を出現させてしまうのです。
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