北の富士さんと最後の別れ…八角理事長「また、力士たちを叱咤激励してほしかった」/弔辞全文
大相撲の元横綱、NHK相撲解説者で11月に82歳で亡くなった、北の富士勝昭さんとの最後の別れに多くの関係者が駆けつけた。「北の富士さんをしのぶ会」が18日、都内の八角部屋で行われた。18年名古屋場所で撮影された、笑顔の遺影が掲げられた祭壇に、参列者が献花。弟子だった日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)らが、弔辞を読み上げた。戒名は「徳粋院殿釈勝縁大居士(とくすいいんでんしゃくしょうえんだいこじ)」と付けられた。現役時代も、九重親方として千代の富士、北勝海の両横綱を育てた時代も、解説者として角界のご意見番だった時代も、多くの関係者、ファンに愛された。 【写真】目頭に手を当てる八角理事長 八角理事長の弔辞全文は以下の通り。 ◇ ◇ ◇ 本日は、年の暮れの大変お忙しい中、北の富士をしのぶ会にご参列いただき、心より厚く御礼申し上げます。発起人として、また、北の富士の育てた多くの力士たちを代表して、謹んでごあいさつを申し上げます。北の富士は私の師匠ですので、本日は親方と呼ばせていただきます。 昭和53年、私はまだ14歳の時に(目頭に手を当てて約10秒、言葉に詰まる)帯広空港から(再び、約10秒言葉に詰まる)飛行機に乗って、上京したことを今でも鮮明に覚えています。 親方の自宅に住み込んで1年間、中学に通いながら相撲を学びました。中学を卒業し、力士になってからは、私の性格を理解し、導いていただきました。そのおかげで、私は大関、横綱へと昇進することができました。ここには親方との間に築かれた、絶対的な信頼関係がありました。現役を引退し、八角部屋を創設した後も、精神的に支えていただくだけではなく、親方を通じてたくさんの方々にご縁をいただきました。その方々に、現在に至るまで八角部屋を支えてもらっています。心より感謝しています。 14歳で親方に出会えたこと、そのおかげで今の私があります。そのかけがえのない出会いがなかったら、今の私はありません。親方への恩返しは、大相撲の伝統文化を守り、未来への伝承に全力を尽くし、親方と同じように相撲人生を全うすることだと思っています。 私は、親方が当時、九重部屋を構えたこの地で、横綱に昇進し、この土俵を受け継いで八角部屋を創設し、弟子を育ててきました。親方の生前の願いであった、この部屋から送り出してほしいという思いを(言葉に詰まる)、本日こうして多くの方々に、お集まりいただいた中で、かなえることができたことを、親方も喜んでくれていると思います。以前、入院先にお見舞いに行った時、親方は新宿の方向を指さして「飲みに行ったな」と、しみじみ言われました。もう1度、オヤジと飲みに行って、酒を一杯やりながら昔話をしたかった。残念でなりません。 また元気に復帰されて、元気な声で、力士たちを叱咤(しった)激励してほしかった。皆さまも、同様の気持ちだと思います。 親方、大相撲にかけた人生、本当にお疲れさまでした。どうか心を安らかにお眠りください。そして天国から優しい笑顔で、これまで同様に力士たちを見守ってください。 本日は北の富士をしのぶ会にご参列賜り、本当にありがとうございます。北の富士親方が生前に賜りました、多大なるご厚意、ご厚情に対しまして、親方に代わり厚く御礼申し上げ、ごあいさつと致します。 北の富士をしのぶ会、発起人代表、八角信芳。