万博が開催地に残したものとは これまでの万博を古市憲寿と振り返る
万博は都市に何を残すのか
実際、近年の万博は「レガシー」を強調する。レガシー、つまり次の時代に受け継がれていくもの、という意味だ。2025(昭100)年の大阪万博に関しても、大阪府は次のようなことを宣言している。 「万博を一過性のものとせず、そのインパクトを最大限に活かし、「大阪の持続的な成長」と「府民の豊かな暮らし」を確たるものにするとともに、万博開催都市として、SDGsの達成に向けて世界とともに未来をつくっていく必要がある」(注5) おそらく執筆者は「持続」と「SDGs」という言葉を入れられて満足したのだろう。結局何を言いたいのかはよくわからないが、堺屋太一のように万博を「聖なる一回性」のイベントとして考えるのではなく、何とか万博後もそのレガシーを活かしていきたいという意気込みは感じられる。 だが具体性はまるでない。それもそのはず、万博の跡地利用検討は開催半年前の2024(昭99)年11月から、ようやく民間事業者の提案を受け付け始めるのだという。 開催直前まで跡地計画が定まっていない万博というのは、少し異常だ。1992年の「ハノーファー原則」からすでに30年以上が経っているのである。 (注3)流行語になり、いい大人がピンバッジまで胸元に輝かせているので説明は不要だと思うが、持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)のこと。2000年の国連ミレニアム宣言を元にまとめられた「MDGs」の進化版で、2015年の国連総会で採択された。世界的に曖昧に使われている言葉だが、「何かいいことしよう」くらいの意味で通用している。 (注4)ケニアの環境活動家ワンガリ・マータイ(昭15)が「MO TTAINAI」を国連で紹介したのが2005年のことだった。久しぶりに思い出した。 (注5)大阪府「万博のインパクトを活かした大阪の将来に向けたビジョン」2020年3月。 ただのお祭りではなく、開催地にきちんとレガシーを残すことが万博の責務とされるようになった。では近年の万博は、一体その地域に何を残してきたのだろうか。 かねてから僕は万博に懐疑的だったが、実際に訪れもせずに批判をするのは違うと思って、熱に浮かされたように世界各地の万博跡地を訪れている。すでにその数は20を超えた(注6)。 1970年の大阪万博以降、規模の大きな一般博・登録博は、1992年のスペインのセビリア、2000(昭75)年のドイツのハノーファー、2005(昭80)年の日本の愛知、2010(昭85)年の中国の上海、2015(昭90)年のイタリアのミラノ、2021(昭96)年にアラブ首長国連邦のドバイで開催された計6つである。 この章では、その中でもヨーロッパのセビリア、ハノーファー、ミラノに注目してみたい(ドバイに関しては5章で触れる)。世界的に見ても、ヨーロッパは環境に対する意識が高いとされ、しばしば日本の識者も事例として自慢げに紹介するからだ。またミラノ万博は、大阪万博招致の際にも議会が調査団を派遣するなど、学ぶべき成功事例とされた。 ヨーロッパは万博発祥の地でもある。ご当地では、万博のレガシーを一体どのように活用しているのだろう。 (注6)2024年11月現在、訪れた街は以下の通り。大阪、つくば、愛知、沖縄、ニューヨーク、シアトル、モントリオール、ハノーファー、ベルリン、セビリア、サラゴサ、ミラノ、ブリュッセル、リスボン、パリ、ロンドン、ヘルシンキ、アスタナ、ブリスベン、メルボルン、上海、大田テジョン、麗ヲ水ス。いずれ一冊の本にまとめたいと思う(興味ありますか?)。
古市 憲寿(社会学者)