<リオ五輪>グレコ銀の太田をレスリングに導いた父の作戦?!
他国のコーチに「ニンジャ」とあだ名された空中バランスの良さは、特に意識して培ったものではない。恵まれない練習環境の中、工夫しているうちにもとから備わっていた特性とかみ合った末に生まれたものだ。 「小さい時も、高校生になっても、練習相手が豊富にいる環境ではありませんでした。だから、自分で練習を工夫して強くなるしかなかった。タックルをわざととらして、そこから粘ったり、点をとられそうでとられない、という場面を想定して繰り返していました。そういう、自分が失点しそうな動きを繰り返していくうちに、空中バランスの良さで展開できるようになっていきました。大学の授業でトランポリンをしたことはあり ますが、それ以上のことはしていません」 創意工夫で力を伸ばしてきた太田だが、日本体育大学へ進学し、体験したことがない大勢のレスリング選手に囲まれて、練習と生活をすることになった。それまで、比較的小さな所帯で、気心の知れた人と意思疎通がしやすかったのと比べると、勝手が違うことの連続だった。同じマットに上がる者どうしで、レスリング以外のことが原因で衝突することもあった。レスリングと直接、関係はなかったかもしれないけれど、このとき体 験した衝突は、おおらかさの反面、独善的になりがちな個人競技のチャンピオンにとって、必要な経験だったようにも思う。 五輪出場が決まると、壮行会を7回も開いてもらった。五輪で活躍することは、自分だけのためじゃないのだろう、多くの人に応援してもらえることはうれしいものだと楽しみ始めた。それだけに、決勝まで進んだのに負けて終わってしまったことが悔しくてならない。 悔しさにはもうひとつの理由もあった。彼には、ここで金メダリストになり、同世代の中で突出しておきたい気持ちもあった。大学の後輩でもあり、練習パートナーとしてリオ五輪に帯同している文田健一郎をはじめ、4年後の東京五輪に照準を合わせるライバルが国内にもいるからだ。 「4年後、東京五輪では、絶対に金をとります」 太田のこの宣言は、敗れたボレロモリナに対してだけでなく、力をつけ迫っている国内のライバルへも向けた言葉だろう。 実家に帰れば父と釣りを楽しむというが、よくよく聞けば、のんびりした釣りとは程遠い。どちらの釣果が多いか競争になるので、魚が逃げないようお互いに黙ったまま釣り糸を垂れているのだという。ほとんど言葉も交わさず楽しいのだろうかと思うが、十分楽しい趣味だという。言葉は多くない父だが、オンとオフの切り替えを教えてもらったことは今も大きな財産だ。おかげで釣りだけでなく、好きな洋服を買うもの楽しいし、 友人たちにからかわれても、パーマをかけた独特の髪型もやめるつもりはない。 追いかけるルーキーとして銀メダリストとなったが、4年後の東京五輪は追われる立場になる。今まで体験したことがない世界を味わって、どんなレスラーになってゆくのかを楽しみにしたい。 (文責・横森綾/フリーライター)