<リオ五輪>グレコ銀の太田をレスリングに導いた父の作戦?!
昔はレスリングが嫌いだった。 元選手だった父・陽一さんに初めてレスリング教室へ連れていかれたときは「だまされた!」と悔しかった。小学校1年生の春休み、てっきり魚釣りにつれていってくれると思っていたのに、いきなりレスリングマットの上に放り込まれ、それから毎日、3~5時間練習し続ける生活になった。2週間後、いきなり試合に出されて優勝してしまった。レスリングに愛着がわくようになったのは中学生になったころだ。 「今はすっかり普通の父親ですけれど、当時は鬼のようだと思っていました。レスリングのことも、子どものことも大好きなんだとわかります。でもあの頃は、毎日、すごく厳しく長い時間練習をさせる父のことが全然、わからなかった。父に強制される時間以外は、できるだけレスリングのことを考えたくなくて、試合のビデオを見るのも大嫌いでした。今では、研究のために映像を見るのは大好きなんですけどね」 文句を言いながらもレスリングを続けたのは、1番になるのが大好きで、負けるのが大嫌いだったから。女子が新種目になると脚光を浴び始めた2004年アテネ五輪を前にしたころ、漠然と「オリンピックへ行きたい」と夢を語り始めた。でも、この言葉は周りに促されるままに口にしていただけで、あまり意味が分かっていなかったと振り返る。アテネ五輪でもっとも印象に残ったのが、レスリングではなく男子体操団体の決勝だったほどだ。 少しずつ、五輪の意味や家族の思いを理解し始めた中学生になって、ようやく自分自身の心から「五輪で金メダルをとりたい」と思うようになった。だから、小学生の時から世話になった恩師・勝村靖夫さんの誘いを受けて、山口県の高校へレスリングのために進学した。先生には、レスリングだけじゃなくて日常生活をきちんと送ることも教わった。同じ勝村門下生のロンドン五輪金の小原日登美もそうだが、マットに上がる前の一 礼や、試合後の審判や相手セコンドとの握手を丁寧に行うのが教え子たちの特徴だ。