「下ネタなぞかけでブレイク」紺野ぶるまのその後「閉経直前の状態でも、まだ見ぬ出産と今ある好きな仕事を天秤にかけて」
紺野ぶるまさんは、高校中退後、通信制高校に編入しました。進路に悩んだ時期には、卵巣嚢腫の再発や突発性難聴も経験。心身が疲弊していた紺野さんは、お笑い番組に元気をもらい、芸人の道へ進むことにしました。下ネタなぞかけでブレイク、賞レースの決勝進出、結婚と、順風満帆に見えた一方で、キャリアと妊娠・出産について苦悩したこともあったようです。(全4回中の3回) 【画像】スタイル抜群!松竹芸能に入ったばかりのころの紺野さんや、ド派手なギャル時代、幼少期の遠足やバレエでの1コマなど写真多数(全19枚)
■「ブルマパーティー」を見て芸人になることを決意 ── 卵巣嚢腫と突発性難聴の治療が終わったころ、松竹芸能の養成所に入所されたんですよね。
紺野さん:はい。2回目の卵巣嚢腫が最悪で。病院で「卵巣は2つあって、右は5歳のときにすでに削ってあるから、今回腫れているのがもし右だったら右は取っちゃって、左は健康な状態を保ちましょう」と言われていたんですよ。きっと神様っているはずだから、取るのは右かなと思っていたら、まさかの左で。どっちも削られちゃって、もう最悪…ってなって。母は「私がちゃんと産めなかったから」と言って泣いちゃうし、私も入院生活で痩せちゃうし、退院後は突発性難聴にもなるし。
そんなときに、テレビで「爆笑レッドカーペット」を見ていたら、くまだまさしさんと鈴木Q太郎さんが出てきて。2人がブルマを穿いて、頭に黄色い耳みたいなのをつけて、鼻に管を通して、その管と耳が繋がっていて、「今からピカチュウにならないように1枚のブルマを穿きます」って言って、ブルマを片足ずつ通して穿こうとするんです。けど、2人とも穿くたびにピュッピュッピュッと鼻から息が漏れて、最後はピカチュウになる、「ブルマパーティー」というネタを見たんです(笑)。
もうこれが本当に楽しくて。初めて「あ、生きてる!」って実感しました。そのときに偶然、電車内に「松竹芸能、求むスターたち」みたいな広告があって、オセロさんやTKOさんが顔写真つきで載っていたんです。ネットで調べてみたら35万だったので、これまで2つの怪しい事務所に登録料やレッスン料を計100万ぐらい払わされてきた私から見ると、めっちゃちゃんとした事務所だし、値段もすごく安く感じて、入所を決めました。